ルーツに導かれ

  • 土曜の窓, 特集
  • 2023年1月7日

 私は前職の政府系金融機関に三十数年勤め、2015年3月にAIRDOに勤務することになりました。それは、北海道勤務初めて、航空業界初めて、単身赴任初めてという「初めて尽くし」の出発でした。ただし、北海道で勤務することも住むことも初めてでしたが、私のルーツは北海道にあると言ってもいい家系なのです。

 父方の祖父も母方の祖父も「灯台守」という職業に就いており、北海道の各地の灯台で働きました。なお、灯台守という職業は、06年12月の長崎県の女島灯台の無人化により日本では消滅しています。既に父も母も亡くなっており、詳しい話を聞かずじまいでしたが、灯台関係の団体に調べてもらったところ、両祖父が勤務していた灯台と、その勤務時期が正確に分かったのです。

 父方の祖父は、白神岬(渡島管内松前町)、神威岬(後志管内積丹町)、能取岬(網走市)などの灯台を、母方の祖父は、襟裳岬、釧路埼などの灯台を3~4年ずつ勤務して回っていたようです。その間に、父は白神で生まれ、母は釧路で生まれました。そして、終戦前の1942年に根室の落石岬で両祖父の家族が出会ったのです。父方が灯台長、母方が副灯台長という関係であったと聞いています。父は学徒出陣で満州に行き、終戦と同時にシベリアに抑留され、2年後に日本に戻ってきましたが、その時真っ先に向かったのが両親のいるこの落石岬灯台であったということを叔父から聞いています。

 落石岬で両親が出会い、東京で結婚して、私がこの世に生を受けます。このようなルーツであることから、私は東京に居ながら北海道の匂いを身近に感じて育ちました。そのせいか中学生で札幌に旅行した時から、私は北海道のとりこになってしまいました。高校3年間、大学4年間、毎年夏休みになると国鉄の周遊券を持って北海道を旅行して回りました。受験勉強に専念しなければならない高校3年の夏休みも我慢できずに行ってしまったくらいで、一種の中毒とも言えます。当然、両親が暮らした灯台も多く訪ねました。

 今、私は「北海道の翼」AIRDOの一員として働いています。AIRDOの勤務が決まった時、これは運命だったのではないかとさえ思いました。きっと天国の祖父母、父母は喜び、応援してくれていると思っています。コロナ禍で非常に厳しい状況にある「北海道の翼」が復活、成長することが私の目標であり、天国にそれを誓っています。(AIRDO社長)

 くさの・すすむ 1960年東京・品川生まれ。83年筑波大学卒業、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。取締役常務執行役員を経て2015年3月AIRDO顧問、同年6月副社長、19年6月から社長。

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