苫小枚市内に9店舗を構え、創業49年を迎える弁当製造・販売の「甚べい」を率いる。1978年に入社して以降、懸命に働き、会社を成長させた。「世の変化に追い付くだけでも大変だったけれど、仕事に人生を豊かにしてもらった」と、これまでを振り返る。
戦後復興期の51年、山形県河北町で桃の果樹園や畜産を営む農家の長男として生まれた。4人きょうだいで育ち、地元の農業高校を卒業後、家業に励みつつ地域の青年団長を務めた。晴れの成人式に臨む若者たちに思い出を残してもらおうと、青年団がプログラムを企画。会場の体育館に出店を並べダンスパーティーを催した。「せっかく晴れ姿で来ているのに、1時間ほどの式典で帰らせるのはかわいそうだ」。そう考えて立案した催しは今も地元で続いており、「あの頃が懐かしいね」と思い返す。
25歳で結婚して早々、妻がぜんそくを発症。農業の仕事が原因とみられたため、続けることができなくなった。これからどこで、どう生きていくか―。悩んだ末、頭に浮かんだのは苫小牧市。北海道を1人で旅した時、日本の高度成長に乗り、工業都市として勢いがあったまちの様子が印象に残り「これから発展するのは苫小牧だ」と76年、20代半ばで故郷を離れた。
一念発起し山形から移り住んだ後、市内の酒店で配達をこなしながら、当時、有明町にあった「甚べい」の工場でも働いた。上司から正式な入社を打診され、「農家の生まれのため、食品業界には興味がある」と就職を決めた。だが、順風満帆とはいかなかった。28歳で工場長を任せられたが、人間関係のトラブルでパート従業員の半数が退職してしまい、ショックを受けた。「自分の母親ほど年が離れた人ばかりだったこともあり、悩みを聞くことができなかった」。職場の人たちを気遣い、声に耳を傾ける大切さを思い知った。
昭和後期から平成にかけて台頭したコンビニエンスストアの脅威にもさらされた。一時客足は落ち込み、「つぶされると思った」。しかし、「消費者に安心でおいしい商品を提供し続ければ、何とかなる」と踏ん張り、経営は次第に好転。逆にコンビニ弁当の普及が相乗効果となり、売り上げを伸ばしていった。
営業部長や専務を経て2002年、社長に就任。同時に「食の安全」に力を入れた。アトピー性皮膚炎などアレルギー疾患の子どもが目立つようになり、「安全なものを食べてもらいたい」との思いからだった。野菜などの食材は農薬使用量が少ない国産を中心に使用。現在は全体の6割を道産で賄っており「何とか100%に引き上げたい」と考えている。
「おいしかったと言われることは、何事にも替え難い幸せ」。地域に愛される弁当作りに今も情熱を傾ける。
(高野玲央奈)
今田正義(こんた・まさよし) 1951(昭和26)年1月、山形県河北町生まれ。北海道中小企業家同友会の元苫小牧支部長で現在、苫小牧弁当仕出協同組合理事長を務める。趣味はモーターパラグライダー。苫小牧市高丘在住。