防波堤を利用した有料釣り施設として今春、道内で初めて運用が始まった苫小牧港・東港の通称一本防波堤(内防波堤)が10月30日、今季の開放を終えた。事故なく入場者数、釣果ともに順調に推移し、関係者は今後の運営に手応えと自信を得た。釣り人の締め出しから開放へかじを切り、レジャーを含む港湾施設の多目的利用に歩みを進めた「釣り防波堤」の成果と課題を探る。(4回連載)
苫小牧市と厚真町にまたがるように建設された東港。港の西端、沖に1キロ突き出るように防波堤がある。いつか「一本防波堤」の呼び名が釣り人に定着した。
東港はもともと、臨海部に重化学工業の工場立地を想定した「苫小牧東部大規模工業基地」の港だ。1976年に着工し、産業構造の変化で開発計画の方向が変わり、港の性格は国際コンテナ、フェリーなどの物流とエネルギー港に転換。一本防波堤は、巨大工業港の未来図に描かれたいつ実現するとも知れない弁天埠頭(ふとう)建設まで、水路の静穏を確保する施設として83年に造られた。同埠頭実現時には撤去される。
1キロの突堤は釣り人には大いに魅力的だ。ババガレイ、ホッケ、大ゾイ、ニシン…、多様な魚が釣れた。「大物、数釣りができた。昼夜、人気の釣り場だった」。当時をよく知る、苫小牧港釣り文化振興協会の森田忠志業務執行理事は以前の一本防波堤を振り返る。
だが6人が命を失う惨事が東港で起きた。2009年12月、プレジャーボートで一本防波堤に近接して沖側にも造られた内防波堤に渡り、夜釣りをしていた7人のうち、ボートで浜に戻る際に天気の急変でしけた海に投げ出された6人が亡くなった。
事故後、苫小牧港管理組合は沖の内防波堤と一本防波堤から釣り人を排除するため、苫小牧海上保安署と一帯の巡視を強化。一本防波堤中間部には堤体の幅11メートルを超える鉄製の大きな柵を設置し、先端側を封鎖した。管理責任が問われる可能性の全てを排した。
規制に潮目が訪れたのは9年後だ。国土交通省が18年、地方創生を目的に港湾施設を観光資源として利活用する取り組みを推進。釣り施設としての利用を認める「釣り文化振興モデル港」の指定を始めた。仕掛けたのは日本釣振興会。道内でも同振興会北海道地区支部が動き、管理組合に釣り防波堤の構想を打診した。
封鎖を継続していた管理組合だが、港のオーナーでもある国の方針にも押され、「十分な安全と事故対策、釣り場の管理が可能な体制を運営団体がつくれるならば」(白川友秀業務経営課長)として防波堤の釣り施設化によるモデル港の検討に着手。20年8月、道内初の指定を果たした。規制の方針自体は変わらないが「もとより港から釣り人を閉め出すことが最善とは考えていない」(同)のも本音。防波堤の釣り利用は条件が整う場合の限定だ。
指定後、道地区支部が主導して釣り防波堤を管理運営する社団法人を設立。事故防止と万一の事故時の救助体制、閉鎖要件を整え、管理組合から防波堤使用の許可を得て今年4月、オープンした。
封鎖していた先端側500メートルをレジャーに有料開放する一本防波堤の「多目的利用」が始まった。