「哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属ホモ・サピエンス種のメス」そして「日本国北海道民苫小牧市在住中学3年生」。私を分類するとこうなるだろう。でも、そもそも分類するとは、属するとは、自分たちにとってどういう意味なのだろう。
この本には、日本と外国にルーツがあるという共通点を持つ中学生2人が登場する。その1人ミハイルは、その見た目から良くも悪くも特別扱いされてきた経験から、できるだけ目立たないように生活している。もう1人の葉菜は、ミハイルとは対照的に、目立っても、クラスメートに避けられても自分を貫く。
私自身は、ミハイルに近いと思う。人から「意外だね」「珍しいね」と言われることが嫌だ。いつも、自分が応援しているアイドルの話もしないし、これは好き、あれは嫌いとはっきり言えず、他の人に合わせてしまう。だから、葉菜のように人の目を気にせずに自分を貫いていける人がうらやましく思う。
でも私は、「中学生なんだから、女子なんだからと決めつけないで。私は私」と思いながらも、やっぱりこの分類のおかげで「皆と同じで安心」している部分もある。
私の身近には、外国籍を持つ人はいないが、調べてみると、現在日本には、外国籍の児童生徒数は約9万3千人。日本の人口の1100分の1にあたる。一つの学校が生徒数三百五十人だとすれば、3校のうち1校には、外国籍を持つ生徒がいるということになる。ちょっと身近になってきた…。
では、自分の学校にいたらどうだろう。きっと私も、特別なものを見るような目で見てしまうと思う。英語はペラペラだよね、運動神経抜群・リズム感抜群? 絵本の中の王子さまやお姫さまみたい! という風に。これって立派な偏見だ。また、私は先日、「やさしい日本語」の講習会に参加したのだが、その時に何人かの外国人のメッセージが紹介され、「外国人だからといって、みんなが英語を話せるわけではなく、話さない国の人もたくさんいるのです」という話を聞いて、外国人=英語で話さなきゃと思っていたのは、先入観だったんだと気づいた。日本は、民族の数が少ない国だからか、何事にも大勢の方が正しく、強い、少数の人々は、弱く、排除されていると思う。そんな中で、私もきっと、知らず知らずのうちにいろいろな人や物事に対して偏見や先入観を持って生きているのだ。
では、これからどうしたらよいだろう、と考えた時、大切なのは心の中に「ルーペ」を持つことだと思った。葉菜は、大好きな虫の観察をするために、おばあちゃんからもらったルーペを何よりも大切にしている。
「葉菜、ちょっと見てわかった気になっちゃダメ。よく見て、よく考えて、本質を追究するんだよ」という言葉とともに。一見自己主張が強くて、無敵に見える葉菜だって、自分のルーツや生い立ちについて、悩み苦しんで今があるのだと、わかってくる。見た目や振る舞いだけで判断してはいけないのだ。一言でミックスルーツの子供と言っても、その中にはミハイルや葉菜、ミハイルの兄のように、それぞれの考えや好みがあり、個性がある。日本人の私たちだって、一人一人が違って当たり前だ。互いが互いの違いを認めて、公平な目を持って接することができたら、偏見も差別も、もしかしたら戦争も無くすことができるかもしれない。でも、それが良くないとわかっていても、完全に消すことは難しそうだ。
ならば科学してみよう。偏見や先入観は仮説だ。「あの人はこういう人なんじゃないか」「その考えはおかしいのではないか」という仮説を立てる。それは、正しいかもしれないし、誤りかもしれない。じっくりルーペで観察し、それでもわからなければ、葉菜やミハイルがしたように、顕微鏡や、スマホのレンズなど、さまざまな手段で人や物事を詳しく見て、理解をし、答えを出していく。そうやって、今は狭い私の世界をどんどん広げ、いつか心のルーペを持って、外の世界に飛び出してみたいと思う。
(終わり)