病気の治療をしない。そんな普通では考えられないことを選ぶ人がいるのだと、最初驚いた。この本はそんな頑固なおじいちゃんと小学生のみずほ、そしてその家族の話だ。おじいちゃんは何度か大きな病気をしていて、ついにがんが転移した。転移したことで、また治療をしなければならないが、おじいちゃんは、「積極的な治療での副作用で、体力が落ちて今しているふつうの生活ができなくなり、苦痛に耐えながら生きるのはもうこの歳ではごめんや」と言った。このことをみずほはきっと信じられなかったに違いない。
私の祖父は、去年急に亡くなった。祖父は消化管穿孔という、腸の壁に穴があく病気だった。数日前から腹痛を訴えていたが、祖母が病院に行くかと聞くと、行かないと答えたそうだ。私はこの話を聞いたとき、あの我慢強い祖父が腹痛を訴えるなんて、相当痛かったのだなと思った。祖父の中ではもっと前から何か症状があっただろう。でも病院が嫌いで何十年も病院に行っていなかったので、きっとすぐに治ると思っていたのかもしれない。だから病院には行かなかったのだろう。私の祖父も、みずほのおじいちゃんと同じように「治療をしない」ことを選んだのかもしれない。私もみずほも「治療をすることが幸せだ」と考えてしまう。でも、人はそれぞれ、幸せの捉え方や考え方は違うのだ。それでも私は、病院に行ってほしかったなと思う。みずほのお兄ちゃんと同じ気持ちだ。しかも、そんなことを考える間もなく私の祖父は亡くなってしまった。
祖父は、自分の人生を楽しんだのか母に聞いた。母は、「長年体の不調があったけれど好きなお酒を毎日楽しんでいたよ。十人の孫が生まれてかわいがっていたから幸せだったと思う」と言っていた。祖父の死をどうやって捉えたら良いか分からなかった私は、この本を読んで少し楽になった。みずほは、「たとえあした、世界が滅亡しようともきょうわたしはりんごの木を植える」という言葉をおじいちゃんから聞いたとき、それまで希望ということをまじめに考えたことはなかった。私も同じだ。私にとって、「りんごの木を植えること」は、勉強をしたり友達と仲良くしたりすることだ。勉強をすると、将来の夢やしたいことなどをできるかもしれない。
みずほはおじいちゃんが亡くなった後、おじいちゃんが植えた庭の花の手入れや、やめてしまったピアノに挑戦しはじめた。私は感動した。祖父は生前、「誰か一人でも医者になってくれればなぁ」が口ぐせだった。医者嫌いの祖父は、誰かが医者になってくれたら、自分を診てもらえると思っていたのかもしれない。祖父のその言葉を胸に、私は医療の道に進もうと思っている。
この本を読んで私は、りんごの木を植えることは未来への希望であり、幸せの捉え方や考え方は人それぞれ違うことに改めて気づかされた。