平等社会を推進するネットワーク苫小牧理事 藪千加子さん(83) 安心して暮らせる社会へ人々支える

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年11月19日
鉄道病院看護婦養成所を卒業し、看護の道を歩み始めた21歳の藪さん=1961年
鉄道病院看護婦養成所を卒業し、看護の道を歩み始めた21歳の藪さん=1961年
今も社会の問題に関心を寄せる藪さん
今も社会の問題に関心を寄せる藪さん
とまこまい訪問看護ステーションの開所式であいさつを行う=1994年
とまこまい訪問看護ステーションの開所式であいさつを行う=1994年
訪問看護利用の脊椎損傷患者を美術館に同行支援=1980年
訪問看護利用の脊椎損傷患者を美術館に同行支援=1980年

  21歳で看護の道に入り、介護や女性支援とさまざまな活動に携わりながら人の健康、生活を支え続けてきた。80歳を過ぎた今は、平等社会を目指す市民運動に関わっている。その原動力は「どの世代も安心して暮らせる社会を実現させたい」との強い思いだ。

   第2次世界大戦が始まり、日本の戦時体制も色濃くなった1939年、小樽市で生まれ、看護師に憧れる少女期を過ごした。夢をかなえるため、高校を終えた58年、札幌鉄道病院(現JR札幌病院)看護婦養成所に進学した。卒業後、同病院に就職し、2年後に結婚。長男をもうけたが、当時、保育園の整備が進んでいなかったため、市外の親族に子どもを預けて働いた。やがて限界を感じ、65年、25歳で退職した。

   この経験から女性の就労問題を深く考えるようになった。仕事と子育てが両立できる社会を目指し、同年、新日本婦人の会による保育園設置要求運動に参加。結婚や出産を機に離職するのが当たり前という社会の風潮に疑問を投げ掛け、「女性に選択の自由がないのはおかしい」と声を上げて署名活動に取り組んだ。

   1年後に復職し、北海道勤労者医療協会(札幌)に就職。勤医協の札幌病院や准看護婦学院などで働き、40代で札幌診療所に配属された。「ここでなければできない看護をやろう」。そう決意し、同僚と訪問看護に打ち込み、異動先の余市診療所(後志管内余市町)でも力を注いだ。

   終わりの見えない介護に疲れ果て、寝たきりの夫に自殺を迫る妻。病院の食事指導を無視し、いつ倒れてもおかしくない食生活を続ける人。事故で重大な障害を負いながらも、美術館での絵画鑑賞を目標にリハビリに励む人―。人の弱さと強さ、絶望と希望を訪問看護の中で見詰め続けた。

   86年、46歳の時に総婦長として勤医協苫小牧病院に異動。「手遅れになる患者を減らしたい」と、病気予防の知識の普及に努めた。東胆振初となる訪問看護ステーションの立ち上げや運営にも携わった。

   99年12月に定年退職した後、高齢者介護の世界へ踏み出した。2000年4月に始まった介護保険制度の下、ホームヘルパーステーションコスモスの所長として訪問介護事業を切り盛りした。見えてきたのは在宅介護を支える国の制度、体制の不十分さ。介護保険が提供できるサービスは限られる。「制度のはざまで大変な思いをしている人を救おう」と16年、生活上の困りごとにきめ細かく対応する「有償ボランティアみやま」の設立に参画。室長として運営に当たる中で、市民ボランティアの真心に触れて生きる力を取り戻す高齢者を目にした。

   21年8月に退いた後、市民団体「平等社会を推進するネットワーク苫小牧」で理事を務める。「世の中は不安や不満で満ちているけど、みんなの行動で明るい未来はきっと訪れるはず」。社会の矛盾と向き合い、解決を訴える意欲は今も失っていない。(姉歯百合子)

   藪 千加子(やぶ ちかこ) 1939(昭和14)年9月、小樽市生まれ。病院や訪問看護、訪問介護、グループホーム、有償ボランティアなど、さまざまな現場を通じて市民の暮らしを支えた。好きな花はコスモス。趣味は日本舞踊。苫小牧市見山町在住。

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