学校給食作文コンクール(4) 「給食への思い」 苫小牧沼ノ端中1年 工藤(くどう) 桔伊(きい) さん

  • 特集, 苫小牧学校給食作文コンクール
  • 2022年11月9日

  私は、これまでどれだけ給食にお世話になっているか分からない。作っている方々の私たちへの思いが詰まったおいしい給食。今も昔も変わらず大好きだ。

   小学生の頃、国語の授業で給食に関するある調査をとった。それは、「クラスのどのくらいの人が給食を残していて、どのような理由で残すのか」というのを調べる調査だ。なぜそんな調査をとったかというと、やはり、給食への思いが強かったからだ。

   結果、クラスの約半数の人が「よく給食を残す」と答えた。人によって残す理由に少しずつ違いはあったが、みんなが口をそろえて言う言葉があった。それは、「嫌いで食べられない」だ。

   食べ物を残す理由として、「嫌いだから」で、片付けてよいのか。食品ロスが叫ばれるこのご時世で、そんな簡単な理由で残してもよいのか。私は、疑問に思った。苦手な給食を食べないだけで、その後まだ食べられるはずの食品が捨てられ、ごみになる。これが、いわゆる食品ロスだ。体に害のない食べ物が捨てられることほど、無駄なことはない。そのためには、食べ物は残さず食べることが大切だ。

   私は、クラスのみんなの家での残食事情も気になり、併せて調査した。すると、家では、5分の4の人は完食することが分かった。このような結果に至った理由の一つ目は、家だと親は嫌いな食べ物を把握しているため、残す確率が低いということだった。親だって、せっかく作った料理を残されたら嫌なはずだ。だから、子どもが好む料理ばかり作る。二つ目の理由は、給食は、一人一人のことを考えて作ることは困難だが、家では少ない量のご飯を作る家庭が多く、好き嫌いを配慮しやすいからだ。

   給食も家庭料理も大きな違いはあまりない。だから、給食で苦手な食べ物に挑戦してみたり、食べもしないで残すのをやめてみたり、ちょっとした工夫をしたりしてほしい。私は、そう強く思う。一人一人の努力は大きな成果を生むはずだ。

   私たちは、給食を食べることが、日常的な習慣となっている。だが、このことが当たり前ではない。世界中には、食料が不足している国もたくさんある。そのような国の人たちは、食べ物の貴重さを知っている。しかし、日本のように食料が余るほどある国の人は、食べられることのありがたみを知らない。だから、簡単に食品を捨てるのだ。日本人は、他の貧しい国や発展途上国の人の気持ちを理解しなければならない責任がある。それが、現状を変える大きな役割を果たす。

   給食は、食に関することだけではなく、世界全体のことを考えて、自分たちがどれだけ幸せか再認識する、一つの授業とも言える。あと2年ほどで、私にとって給食は終わりを迎える。その日が来るまでに一食一食を大切に食べていきたい。同時に、私と同じ気持ちの生徒・児童が一人でも増えることを心から願う。

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