「人の役に立ちたい」。それを胸に人生を歩んできた。苫小牧市職員時代は公務と町内会活動にいそしみ、公務員を退いた後は障害者福祉にも力を尽くしてきた。来年、卒寿(90歳)を迎える身ながらも地域のために―と活動を続け、郷土に寄せる思いは今も熱い。
日本の軍国主義が色濃くなった昭和初頭の1933年、苫小牧で産声を上げた。運動が好きな少年時代を過ごし、「中学時代、駅伝メンバーとして学級対抗大会に出場し、11人抜きをしたこともある」と思い返す。
56年に大学を卒業後、元町に開校した市立苫小牧自動車学校で臨時職員の仕事に就いた。本格的なモータリゼーションを迎えようとしていた時代の中で、運転免許を取得したいと市民が同校に続々と入校。同年度の入校生は639人を数え、以降も右肩上がりで増加。東京五輪が開催された64年度には2234人に達した。
57年、正式に市職員に採用され、引き続き同校に勤務。運転技術や学科の指導に当たった。その後、農林課や企画調査課、教育委員会、市立病院などに異動。79年には夜間救急センター初代事務局長も務めた。
83年、古巣の同校に戻り、校長に就任した。当時は市内や各地に民間自動車学校が次々に誕生し、それに伴い市立の入学者が徐々に減少。公立運営の役目を終えたとして85年11月に閉校した。自身は病院事務局長を最後に92年、市役所を退職。「自動車学校を皮切りに、いろいろな部署で自分なりに頑張り、楽しんで仕事と向き合うことができたと思う」と振り返る。
公務を果たしながら、第八区自治会(緑町・木場町・春日町の一部)の役員として地域活動にも励んだ。時代の変化で希薄になったコミュニティー。住民同士の絆の再生を目指し、力を入れたのは「町内会だより」の発行だった。手作りで76年に創刊して以降、まちの話題や自治会のお知らせなどを盛り込んだ紙面は住民に喜ばれた。
自身の手による発行は2005年まで続け、号数は400号を超えた。「人のつながりを取り戻したい」と29年間、地域情報を伝え、自分のまち、人に目を向けてもらう地道な取り組みは、他の地域に勝る活発な自治活動と団結力を生んだ。
誰もが認める人への優しさ、思いやりの強さは、障害者福祉の分野でも発揮された。05年、苫小牧で設立された社会福祉法人せらぴの理事長に就任。障害のある人の支援に関わり、現場で頑張る職員らを励まし続けた。
現在も理事長を務め、福祉に貢献しながら、地元の第八区老人クラブ会長としても活躍。「コロナ禍でさまざまな活動が制限されてきたが、地域住民が交流できる場もつくりたい」と意気盛んだ。
(室谷実)
菅原雅夫(すがわら・まさお)。1933(昭和8)年8月21日、苫小牧生まれ。法政大学経済学部卒。長年にわたり地域活動に熱心に携わり、苫小牧市老人クラブ連合会監事、市交通安全協会監事なども務めている。苫小牧市緑町在住。