第2部 (2)東部地域の発展後押し 雇用拡大で人口増に

苫小牧市内の商業地では唯一地価上昇の「拓勇東町4」周辺。トヨタ北の活況がまちの発展を下支えする

  トヨタ自動車北海道の従業員数は1日現在、市内企業では最多の3538人。1992年4月の第1回入社式以降、地元で新規採用を欠かした年はない。部品製造が活況を呈するたび、期間従業員を中心に雇用を拡大してきた。現在の従業員はほぼ北海道出身者で、そのうち胆振管内は約6割。平均年齢は30代後半と比較的若い。まちの発展に伴い宅地開発が進んでいった苫小牧の歴史に呼応するように、東部地区の発展に大きく影響してきた。

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   苫小牧のまちはトヨタ進出前から、東へ、東へと延びつつあった。市は1980年から6年かけて、沼ノ端鉄南地区176ヘクタールを宅地造成。88年には「21世紀初頭を展望したまちづくり」を掲げて市基本構想を改定した。企業の公害対策で可能になった「職住近接」で人口増につなげる考え方を明確にし、90年に入るとウトナイ住宅団地など、東部地区で民間企業による宅地造成も活発化した。そんな中でトヨタ北は92年10月に操業を始めた。

   元市長の鳥越忠行さん(82)は「当時は土地会計の赤字を解消するため、原野みたいなところを住宅向けに開放していった時代。トヨタが進出してくれたのは幸運だった」としみじみと振り返る。「東部で若い人が増え、市内も人口が増え、トヨタの影響は本当に大きかった。その後は東西バランス、まちづくりにゆがみも出たが、まちは順調に発展することができた」と強調する。

   勇払、植苗などを含む東部地区を市は統計上、「郊外東地区」とまとめていた90年、同地区人口は約1万2600人で、うち沼ノ端は約7100人。トヨタ北の雇用拡大と比例するように住民が張り付き、年間売上高1000億円を達成した2000年、沼ノ端も人口1万2000人を突破。トヨタ進出はあくまでも一要素だが、人口が右肩上がりだった当時の市の施策と相乗効果を生んだ。

   東部の伸展を決定付けた05年のイオン苫小牧店オープン。その後の商業施設の集積もあり、トヨタ北をはじめ工業団地で勤務する従業員が、東部地区に住宅を構える動きが加速した。沼ノ端鉄北地区は北栄、拓勇と新しい住所になり、ウトナイ地区も住居表示整備を実施。かつては「郊外東地区」とくくられた地区は現在、市内全体の2割近くに相当する3万人以上が居住する。

   9月に道が発表した基準地価(7月1日時点)で、市内の住宅地は22年ぶりに、商業地は26年ぶりに上昇した。東部の上昇が全体を押し上げ、中心市街地の地盤沈下や西部の下落をカバーする、「東高西低」の構図が一段と明確になった。不動産鑑定を担当した北都鑑定(室蘭市)の山口貴路代表(50)は「東部の住宅地、商業地の人気が長期スパンなのは、下支えする企業があるから。やはりトヨタの影響は大きい。新しくきれいな街並みで、生活に必要な全てがそろい、若い世代が張り付いている」と評価する。

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