「木の命を守りたい」との思いを胸に2001年12月、樹木医の資格を取得し、傷んだり病気になったりした木の治療に当たっている。各地のサクラ名所の再生にも地元住民と取り組み、手当てのノウハウも惜しまずに伝える。苫小牧初の”木のお医者さん”として歩んだこれまでを振り返ると、父の一さん(1999年、84歳で死去)から受けた影響の大きさを改めて感じるという。
3人兄弟の末っ子として夕張市で生まれた。父は林野庁の職員。1959年、転勤で移り住んだ苫小牧では営林署長を務め、洞爺丸台風(54年)で甚大な倒木被害に遭った樽前山麓の森林復興を指揮した後、退職した。「中学生の頃、父が休日も山麓へよく出掛けていた記憶がある。たまに一緒に行くと樹木のことを教えてくれ、それが自分の原点になっている」と生前の姿を懐かしむ。
高校生になって進路を考えるうち、自然の成り行きのように植物の知識を深めたいと思った。苫小牧西高を卒業後、青森県の弘前大学農学部で植物病理学を学んだ。73年、苫小牧に戻って造園会社で働き、個人宅の庭の手入れから街路樹の植栽、維持管理などと、まちの緑化に長く携わった。一方、いろんな理由で伐採され、まちから消える樹木の多さも目の当たりにし、がくぜんとした。「木を守り、生かしたい」との気持ちが膨らみ、そんな折に樹木医制度を知った。
樹木医は木を診てカルテを作成し、樹勢回復の処置を施す技術者。一般財団法人日本緑化センター(東京)が行う資格試験の合格を目指し、50歳を過ぎてから仕事の合間を縫って猛勉強した。2001年、2度目の挑戦で合格率約10%の難関を突破。「勉強し過ぎて体を壊しそうになり、2度目で駄目なら諦めるつもりだった」と思い返す。
今ではライフワークとなったサクラの治療や保護の活動は、資格試験で共に合格を果たした同期の仲間の助言がきっかけだった。20年ほど前、兵庫県の樹木医から「北海道のエゾヤマザクラはほとんど手入れされていない。やってみたらどうか」と勧められた。思いがけないアドバイスで興味を持つようになり、「専門技術や知識も教わり、仲間に感謝している」と言う。
サクラの魅力を知り、突き動かされるように各地の並木や名木を精力的に見て回り、地元の依頼で弱った木の健康を取り戻す活動を続けた。6年前からは新ひだか町の委託で、直線7キロに及ぶ「静内二十間道路桜並木」の樹勢回復も手掛けている。「私は処置の方法を伝え、地元の人たちが熱心にやってくれている。今年はきれいに咲き、住民に喜んでもらえたと思う」と笑顔を見せる。
樹木を愛した父の意思を継ぎ、木の仕事に関わって半世紀以上。「もう75歳の後期高齢者。自分が学んだことを次の世代に引き継いでいきたい」と語った。
(河村俊之)
金田正弘(かねた・まさひろ) 1947(昭和22)年3月、夕張市生まれ。2004年にグリーンコンサルタント「緑の総合研究所」を設立し、樹木医として独立。現在、日本樹木医会北海道支部長を務める。苫小牧市しらかば町在住。