「地元の期待に応え続けられる会社であってほしい」―。トヨタ自動車北海道労働組合の初代執行委員長、渡辺敏明さん(72)は古巣にエールを送る。労使は相互信頼、車の両輪との考え方で約12年間、組合の立場から「北の戦略拠点」としての発展に尽くし、「経済や雇用の面で、地域の期待に割と応えられた」という自負がある。今後に向けて「求められるものも変わるはず。期待を敏感に捉えないと」と求める。
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トヨタ北労組は1992年3月27日、渡辺さんらわずか6人で結成。4月に同社初の入社式を控える中、規約や綱領を慌ただしく整え、「会社の体制づくりはプロがそろっているが、組合は本当に急ごしらえだった」と振り返る。労使協定の締結にも渡辺さんの個人印を使い、「普通だったら駄目だけど、相互信頼があった」と強調する。
渡辺さんにとって忘れられないエピソードがある。組合結成とほぼ同時期に事務本館が完成し、豊田英二トヨタ自動車会長が来社した時のこと。トヨタ北でも会長職にある同氏のため「会長室」を設けたが、豊田会長は「それは後で見る。労働組合の事務所はあるのか。そちらから先に見る」ときっぱり。渡辺さんは「トヨタの伝統。組合を大事にしてくれている。トップの姿勢が、みんなで頑張る力になる」と話す。
92年10月の操業開始から部品製造の拡大が続き、増員や勤務形態の見直しに迫られた同社。組合も積極的に従業員に理解を求めた。基本は二つのグループで日勤、夜勤を入れ替え、土・日曜を休む2直2交代。だが、93年にAT(自動変速機)の生産が始まると、日勤を早朝から夕方まで、夜勤を夕方からとする連続2直2交代を試行した。99年7月の新型AT「U340」の生産開始に伴い、2000年には初の3直2交代を導入。24時間を三つのグループで回し、土曜も稼働日とするなど「フル生産」を進めた。
必要なものを、必要な時に、必要なだけ造るトヨタ生産方式(TPS)では、果てしない増産要請に「時間で頑張るしかない」という状況。仮にトヨタ北の部品生産が滞れば、トヨタ本体の車両ラインが止まる。「代わりに生産したい会社はいくらでもある。『トヨタ北ここにあり』と存在感を発揮しなければ将来はない」と組合員らを鼓舞。「会社が良くなることが、組合員の生活も良くする」と繁忙期を乗り切った。
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労組結成から10年を機に「今後は生産ばかりしていても駄目。まちづくりに貢献しないと」と組合として苫小牧市議会議員選挙に挑戦。選考委員長として人選に当たったが、適任者がおらず、半ば「業務命令」で03年に自ら出馬し、当選。市議を3期12年間にわたって務め、「会社の中にいたら、地域の声は分からなかった。トヨタ北への期待は思った以上に大きい」と実感した。
労組は一定期間の加入を義務付けるユニオンショップ制で、組合員は現在約2600人と比較的高い組織率を誇るが、最近は組合員一人一人の価値観も変わって多様化。組合の存在意義を問われることも多いというが「会社と従業員の幸せを実現することは変わらない」と断言。その上で「自動車業界そしてトヨタ北がどう変わっていくか心配もあるが、やってきたことを地道に続ければ、地域で果たすべき役割や責任は変わらない」と力を込める。