「ブランド指向になった理由とは」

  • 内山安雄の取材ノート, 特集
  • 2022年8月26日

  今なお海外旅行がままならないようなので、旅そのものからはちょっと離れた話をしましょう。

   私は職業作家として長らくアジアや第三世界をテーマに、あるいは主戦場にしてきた。そのせいもあって、誰もが私のことをブランドになど興味も関係もない物書きだと思っているようだ。

   ところが、この私、恥ずかしながらとんでもなくブランド志向なのである。なぜよりによってこんな私がブランド志向になったのか?

   20代の半ば、得意だったドイツ語のおかげでハンブルクの旅行代理店に首尾よく潜りこむ。そこは最大手といっていいような会社で、正社員はかなりの高給取りばかりだ。

   よって男性社員の間ではアメリカの有名ブランド、RL(あえてメーカー名は秘しておこう)のスーツが大流行だった。薄給の私には縁のない超高級品であり、ノミの市あたりで買ってきた安っぽいスーツが私の一張羅であった。

   そんなファッションで外回りをしていたところ、毒舌で知られるドイツ人の上司が底意地の悪い目つきでいうのだった。

  「ヤスオ、なあ、その格好、なんとかならないのか? 取引先でバカにされるよ」

   その上司のスーツはといえば、もちろんあのアメリカンブランドだった。貧乏な日本の若者はかなり傷ついた。

   もうひとつブランドにからんだ青春時代の苦い思い出がある。20代の終わり、フランスでの長期滞在から帰国したときのこと。

   ガールフレンドにフランス製の香水を2本、お土産に持ち帰る。年がら年中懐に余裕がなかったので、いちおうパリのデパートで買ったのだが、500円とか600円の安物だった。

   久しぶりに再会した彼女は、私から香水を受け取り、喜んでくれたのだと思いきや――。

   数日後、彼女の女友だちが香水の1本をもらって使っていることがわかった。そしてガールフレンドの部屋を訪ねてみると――。

   ふとゴミ箱を見やれば、私がプレゼントした香水が捨てられているではないか。スーツのときよりもずっと傷ついた。

   あれから幾星霜――。歳を取った私は、ウエアに関してだけはあのアメリカのブランドに、香水ではフランスの有名ブランドにこだわっている。よく食い物の恨みは怖いというが、衣服や香水の恨みだって相当に怖いようだ。

   ★メモ 厚真町生まれ。苫小牧工業高等専門学校、慶應義塾大学卒。小説、随筆などで活躍中。「樹海旅団」など著書多数。「ナンミン・ロード」は映画化、「トウキョウ・バグ」は大藪春彦賞の最終候補。浅野温子主演の舞台「悪戦」では原作を書き、苫高専時代の同期生で脚本家・演出家の水谷龍二とコラボした。

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