1918年3月に開催された、第49回ウィーン分離派展では、メイン・ルームにエゴン・シーレの19点の油彩画と30点の紙作品が展示された。画面下部の3分の1を占める文字は、シーレと共にクリムトの次の世代の画家として活躍した、表現主義的な作風を展開したオスカー・ココシュカの影響を指摘できる。両者に共通するのは、激しい色彩のコントラストや流動的な絵筆のタッチにより感情を表出する表現主義的な作風といえる。
同展のポスターとなる本作をデザインしたのもシーレであり、黒地を背景に、9人の男性がL字型のテーブルに座っている。画面最上部に当たるテーブルの頂点に座するのは、その外観的特徴も相まって、シーレ自身ではないかという説もある。一方、その向かい側に位置する画面手前の空席は、第49回展の開幕直前にスペイン風邪で亡くなったクリムトの不在を暗示しているという解釈もできる。
展覧会自体はシーレの出品作品の大半が売れるなど、盛況のうちに終わった。しかし、同年10月に妊娠中の妻がスペイン風邪で亡くなると、シーレ自身もその3日後に同じ病により28歳の若さでこの世を去った。シーレはわずか10年足らずの制作期間で、2500点を超える作品を残しており、その旺盛な制作姿勢がうかがい知れる。本展では油彩のほかに素描や版画など併せて12点の作品を紹介しており、夭折の画家の圧倒的な個性に触れることができる貴重な機会となっている。
(苫小牧市美術博物館学芸員 細矢久人)