アスリートの背番号は個人を識別するだけでなく、一時代を築いた選手の印象や功績をファンに強く残すことがある。レッドイーグルス北海道における「エース番号」の系譜について、前王子イーグルス時代に選手・監督を務めた現チーフマネジャー・城野正樹さんに話を聞いた。
城野さんは背番号について「王子製紙苫小牧アイスホッケー部時代、背番号はFWが1桁の若い番号、DFは2桁以上と決まっていた」という。部員が増えるにつれ、その慣習は薄れていった。
「以前はエース番号ではなかった」(城野さん)という7と16に箔(はく)を付けたのは、ウイングの7番矢島敏幸とセンターの16番鈴木宣夫だった。釧路市出身の2人は小学生からコンビを組み、1983年に釧路工業高からそろって王子に入部。初年度から日本リーグ制覇に貢献した。黄金時代を支えた両雄は99年、時を同じくして現役を退いた。
時代は若きFW2人に受け継がれた。2002年に入部した百目木政人が7、斎藤哲也が16を背負った。運命のいたずらか、この2人も矢島・鈴木と同ポジションでコンビを組み、得点を量産。「入団時から『王子一筋』と宣言していた」と城野さんが話す通り、百目木は今年で21年目のシーズンを迎える。
斎藤は14年、日光アイスバックスへ移籍。同年から16を継承したのは、日本製紙クレインズなどで「優勝請負人」として結果を残してきた小原大輔だった。
小原が20年にひがし北海道クレインズへ移籍後、同年に日光から移籍してきた彦坂優が16を受け継いだ。彦坂は斎藤と日光で4季共にプレー。入団時、背番号について「公私ともに面倒を見てもらった哲也さんへのリスペクトを込めた」との思いを話している。
名だたるFWがつないできたのは12番。元監督で当時誰も達成していなかった200得点をマークした本間貞樹さんから継承した城野さんが14シーズンにわたり背負った。「渡された当時は、まさか自分が背負うと思わなかった。一度は断ろうとしたが、スタッフに『自分の色が出てくるから』と背中を押してもらった」
入団後、城野さんが初ゴールを決めた際も「得点のアナウンスで本間さんの名前が呼ばれた。すぐ訂正されたが、それだけ印象強い選手だと再確認した」と振り返る。
12は印象的なゴールを決める番号としても受け継がれている。本間さんが監督を務めた1990年、日本リーグのプレーオフで城野さんが決勝ゴールを決めた。城野さんが監督に就任した初年度の2008年、アジアリーグプレーオフファイナル第3戦で優勝を決める3点目は、当時12番のシェーン・エンディコットだった。
今季からは新入団のDF青山大基が12を背負う。「日本人選手が継いでくれるのは初めて。才能のある選手なので中心選手として長く背負って、新たな12番像をつくってほしい」と期待を寄せた。