戦跡から考える平和 静川の綱木トーチカを訪ねる(動画あり)

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  • 2022年8月13日

 太平洋戦争の終結から間もなく、77回目の終戦記念日を迎える。当時を記憶する人が少なくなる中、戦争遺構は後世に平和の尊さを伝える貴重な存在。厚真町在住で、戦争遺跡を調査している乾哲也さん(49)に10日、苫小牧市静川に残るコンクリート製の防御施設「トーチカ」などを案内してもらった。    (報道部・陣内旭)

 資料によると、同戦争末期、同市勇払から厚真、むかわ町にかけては米軍による上陸が想定されていた地域。陸軍第77師団(通称稔部隊)の約1万1500人により、1944年8月から45年5月にかけて、3市町合計で48基のトーチカが構築された。当時は重火器を備え、地上戦に臨もうとしていた。

 静川の「綱木(つなき)トーチカ」は、完全な形で残るトーチカとしては胆振東部で最大規模を誇る。大きさは幅7・1メートル、高さ2・9メートル、奥行き11・1メートル。コンクリートや砂利のほか、鉄筋の鉄道レールも材料に用いられた。

 中に入ると、47ミリの大砲の発射口や弾薬庫などを確認できた。明かりがないと、どこに何があるのか分からないほど暗く、ひんやりとしていた。意外と広く、20人ぐらいは収容できそう。壁の厚さは約1メートルあったものの、砲弾が打ち込まれれば簡単に壊れてしまいそうだった。

 結局、トーチカが実戦に使用されることはなかったがあと少し終戦が遅ければ、本道に米軍が上陸していた可能性もあったといい、こんな小規模な施設で侵攻を防ごうとしていたのかと正直、驚いた。

 トーチカ周辺には、人の手で掘られた土塁や戦車壕(ごう)もあった。「戦車壕から土塁に乗り上げた戦車に向かって、兵隊が爆弾を抱えて特攻する訓練を行ったという記録も残されている」と乾さん。平和教育の一環で行っている小学生らの遺構見学会でその話をすると、児童は目の色を変えて耳を傾けるという。

 小学生に限らず、遺構が戦争を知るきっかけになったという人は少なくない。戦争を身近な問題として捉える上で地元の戦跡を生かすことは重要で、保存が課題。かつて胆振東部に48基あったトーチカは土地の開発などで取り壊されて16基まで減った。民間企業敷地内にも現存しているが戦後77年を迎え、当時の証言者を見つけるのも難しくなっている。

 乾さんは太平洋戦争について、「映像などで間接的にしか知ることができない中、戦跡は迫力が違う。見て感じることが大事」と強調。「戦争を身近に感じる機会は少ないが、記憶を風化させてはいけない」と力を込めた。

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