絵画サークルのばら事務局長 吉田 勉さん(68) 仲間と和気あいあい 生きがいに ”美術熱”再燃 創作楽しむ 「人とは違うことに挑戦を」

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年8月13日
「いろんなことに挑戦したい」と語る吉田さん
「いろんなことに挑戦したい」と語る吉田さん
家族と一緒に写真に収まる中学生時代の吉田さん。絵を描くのが大好きな少年だった(右)=1968年
家族と一緒に写真に収まる中学生時代の吉田さん。絵を描くのが大好きな少年だった(右)=1968年
苫小牧信用金庫に勤めていた頃=2002年
苫小牧信用金庫に勤めていた頃=2002年
ファッションメールプラザのギャラリーで初の「夫婦ふたり展」を開いた吉田さん夫妻=7月
ファッションメールプラザのギャラリーで初の「夫婦ふたり展」を開いた吉田さん夫妻=7月

  会社を定年退職後、学生時代に打ち込んでいた美術を再開させた。毎年、絵のテーマを決めて制作活動に挑む。「人とは違ったことをやりたいという思いがある。これからもいろんなことに挑戦したい」と第二の人生を謳歌(おうか)している。

   小樽市の出身。絵が好きだった両親の影響を受け、小学生の頃から水彩画にのめり込んだ。同市のコンクールで受賞するなど、周りから作品が認められる喜びも制作の楽しさにつながった。もっと上達したいと、絵の知識や筆使いの技を追求した。色彩理論も学び「色に対する今のこだわりの素地が、若かったあの頃に築かれた」と話す。福島県の高校時代も美術部に所属し、デッサン画に励む青春の日々を過ごした。

   高崎経済大学を卒業後の1978年、苫小牧信用金庫に就職。システム開発などに携わり、西暦2000年にコンピューターが誤作動し、社会が混乱すると心配された「2000年問題」の対策事務局メンバーにも加わった。「会社の命運が懸かっていた事業だったので、かなりプレッシャーがあった」。対策のため休日出勤も多く、「西暦が変わった00年の三が日が終わった時、本当にほっとした」と振り返る。その後もコンプライアンス(法令順守)対策の部署などで従事。多忙な現役時代を送り「好きだった絵に関わる時間はほぼなかったですね」。

   会社を退いた後の15年、苫小牧美術愛好会の本間弘章代表が講師を務めていた絵画サークルのばらに参加。”美術熱”が再燃し、これまで経験がなかった油彩画と向き合うようになった。高校時代に美術の教科書で見た画家青木繁の「海の幸」に感銘を受け、油彩画への憧れを心に秘めていた。「油画はとりわけ芸術性が高いと思っていたのでやってみようと」

   サークルには現在16人が所属。豊川コミセンに月2回集まり、創作を楽しんでいる。気心の知れた仲間と一緒に、和気あいあいとした雰囲気の中で描くのは生きがいという。

   今年のテーマは、1枚の絵の中に別の絵を描き込む構図の「画中画」。17世紀のオランダの画家ヨハネス・フェルメールらが用いた表現方法に魅了され、制作した作品の個展も開いた。7月には、駅前通りにある商業施設ファッションメールプラザ(表町)のギャラリーで妻裕子さん(66)と「夫婦ふたり展」を初めて開催。自身の画中画と裕子さんの書を紹介し、来店客の目を引いた。「夫婦で展覧会を開く機会を頂いたことに感謝ですね」と顔をほころばせた。

   来年はいったんキャンバスから離れて、「充電期間」を設けるつもりだ。「今は人への興味がある。人の表情や動きを表現できるようなテーマを見つけ、また始めたい」と絵画への情熱は冷めない。

  (石井翔太)

  吉田勉(よしだ・つとむ) 1954(昭和29)年7月、小樽市生まれ。苫小牧美術愛好会と絵画サークルのばらで事務局長を務めているほか、老人クラブ・平成寿クラブ副会長としても活躍している。苫小牧市しらかば町在住。

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