アイスホッケー女子で、ソチから北京までの五輪3大会連続で日本代表主将を務めたFW大澤ちほ(30)が10日、札幌市内で引退会見した。競技生活を振り返るとともに、引退の決断理由や今後の競技との関わりについて語った。
―引退を意識したきっかけは。
選手時代は常に次の五輪も見据えながらやってきた。今年2月の北京五輪で予選リーグを終えた時、初めて自分のパフォーマンスに限界を感じた。このまま落ちていくか、頑張っても現状維持。もっとうまくなれる感覚が持てなかった。準々決勝のフィンランド戦は競技人生最後の試合になるかもと思いながらプレーしていた。
―決断のときは。
意思を固めたのは4月中旬ごろ。最初に伝えたのは両親で、それから競技仲間や関係者の方にも報告し「もう少しちほのプレーが見たかった」と声を掛けていただいた。ただ五輪から半年たった今も、あそこが限界だったと思っている。
―長く日本代表の主将を担った。
いろいろな視点から物事を見ることができ、人間としても大きくなれた。主将としてのプレッシャーはないかとよく聞かれたが、それは全くなくて、チームみんなで楽しく活動していく中でたまたま主将をやらせてもらったイメージ。本当に楽しいことばかりだった。
―競技人生のハイライトは何か。
3回経験した五輪予選の印象が強く残っている。バンクーバー予選は上手な先輩たちに囲まれて、これ以上ないと思うくらい強いチームでも勝てなかった。五輪ってすごく遠い存在だと痛感した。
そこからはい上がってソチの予選で切符をつかんで、平昌の予選は地元苫小牧でびっくりするくらい多くの方々が応援に駆け付けてくださった。五輪よりも予選の方が、プレッシャーや一プレーごとの大切さをひしひしと感じてきた。
―これからの歩みについて。
数年前からアイスホッケーの普及活動に携わりたいと考えてきた。(2018年からの)スウェーデンリーグへの挑戦がきっかけ。アイスホッケー競技の位置付けの高さや、まちを挙げての盛り上がりを見て、私が子どもの頃の苫小牧と似ていると思った。
活動に専念するため5月末で前職のダイナックスを退社し、6月からプロデュース業などを手掛けるモンスターデザイン(札幌市)のサポートを受けている。30年の札幌五輪招致にも絡めながら、他のウインタースポーツと協力し合って再興を目指したい。
―アイスホッケー界の現状をどう捉えているか。
競技人口の少なさが根底にある。そこをどのように改善できるか、危機感を持って動けるかが大事。すでに取り組んでいる方々はたくさんいるので協力しながら、周りに刺激を与えられる存在になりたい。
―次代の日本代表へ。
ただうまいから代表になれる、試合に出られるのではなく、たくさんの努力を積み重ねてこそ代表にふさわしい選手なんだと思う。歴代の先輩たちの姿を見て教わったことで、私も同じように後輩たちに姿で伝えてきたつもり。自分のプレーを追究し続ける集団になってほしい。そして成し遂げられなかった五輪のメダルを取れるチームになってほしい。