(上) 面影失った風景 震災から11年 逃げることの大切さ教わる

  • 特集, 被災地から学ぶ-2022苫小牧市こども研修
  • 2022年8月8日
語り部ガイドとまちを歩く苫小牧市こども研修の参加者=7月29日、岩手県田野畑村

  「(震災前の村の)面影がなくなっちゃった」

   7月29日、岩手県田野畑村。かつて、住宅や商店があった津波跡地を見渡しながら、同村の大津波語り部ガイドを務める根木地徳栄さん(75)は、寂しそうにぼそっとつぶやいた。

   今年3月で東日本大震災から11年が経過。津波に襲われた東北太平洋沿岸部の景色は、震災前と大きく変わった。住宅があった場所の大半が空き地になり、より高い防潮堤が整備された。

   苫小牧市こども研修でこの地を訪れた児童生徒の多くは震災発生時、まだ幼く、その記憶はほとんどない。4階まで被災し骨組みだけが残る「たろう観光ホテル」、陸地に残された8トンの波消しブロック…。子どもたちは「もの言わぬ語り部」と呼ばれる震災遺構を見詰めながら、語り部の言葉に静かに耳を傾けた。

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   「早かったような、長かったような」。言葉を詰まらせながら、今の心境を吐露したのは宮古観光文化交流協会の「学ぶ防災ガイド」元田久美子さん(65)。毎月11日の月命日に手を合わせている。あの日、宮古市田老地区は最大17・3メートルの津波が襲来し、181人が犠牲になった。

   その後、震災当時よりも4・7メートル高い14・7メートルの防潮堤が完成。まちは様変わりし、津波による浸水で、建物の被害が想定される区域は災害危険区域に指定され、建築が制限された。以前、住宅地があった場所に道の駅がオープンし、その隣には総工費約7億8000万円を投じて田老野球場が建てられた。

   家を建てて5年目に被災し、多くのローンを抱えていた当時は野球場建設に反対だったが11年が経過した今は、「子どもたちの声が響き渡り、まち全体を明るくしてくれている」と前向きに捉えられるようになった。

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   まちの様子は変わっても、「逃げること」の大切さは伝え続けている―。今回出会った4人の語り部ガイドは一様にそう口にした。

   津波時に「逃げるより肝心なことはない」と根木地さん。元田さんは「防潮堤は時間を稼ぐためのもの。逃げることが最も大事」と述べた。震災当時、小学6年だった三陸鉄道の語り部ガイド千代川らんさん(23)も「津波が来たら高い場所へ。普段から家族で話し合い、避難場所を決めておくことが重要」と訴えた。

   子どもたちは、そんな語り部たちの思いを心に刻んだ。「津波は怖いと感じた。(被災地に)来るまで実感はなかったが、経験した人から話を聞いて一人一人の防災意識を高めることが重要だと思った」と苫小牧沼ノ端中2年の海沼来伽さん(13)。苫小牧樽前小5年の畠山実紗妃さん(10)も「苫小牧で災害が発生したときには、自分も被災者を援助できれば」と述べた。

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   東日本大震災の東北被災地から学ぶ苫小牧市のこども研修事業で7月28~31日、市内の小学5年~中学3年35人が青森、岩手の両県を訪れた。児童、生徒たちは現地で何を見聞きし、どう成長したのかを取材した。

     (報道部・樋口葵)

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