美容サロン経営 石澤 ともみさん(53) 笑顔生む”つなぎ人” 「美と癒やし」で夢実現 人との出会いで広がる活躍の場

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年8月6日
「サロンで茶話会の開催も構想中」と石澤さん
「サロンで茶話会の開催も構想中」と石澤さん
物静かで、人前に出ることが苦手だった少女時代=1985年ごろ
物静かで、人前に出ることが苦手だった少女時代=1985年ごろ
苫小牧市社会福祉協議会の依頼でスマートフォン活用講座の講師を務めた=今年6月
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自身主催のイベントで記念撮影=2021年7月
自身主催のイベントで記念撮影=2021年7月

  エステサロンのオーナー、イベントプロデューサー、マーケティングディレクター、飲食や美容を手掛ける企業の外部役員―。さまざまな肩書を持つが、「自分自身を一言で表すと、”つなぎ人(びと)”という言葉が一番合っているかな」とほほ笑む。

   48歳で心機一転、苫小牧市内で美容サロンを開業した。美と癒やしがテーマのイベントを通じて、それまで出会うことのなかった人や企業との関係を築き、生かすことで仕事にもつながった。「目標を持てずにいた時期もあったけど、50歳を超えた今が一番幸せ」

   苫小牧市の出身。「お嫁さんとキャリアウーマン」になることを夢見る少女時代を過ごし、20歳で就職した。24歳の時に結婚し、2男1女をもうけた。

   待望の子どもを授かったものの、育児と家事の両立で心も体も疲弊した。仕事を辞め、家にこもりきりの状態が続いた。周りから掛けられる優しい言葉すら受け止められないほど、追い詰められていた。

   子どもの成長と共に少しずつ余裕が生まれた、そんな時に祖母と母が相次いで他界。その悲しみが少しだけ癒えた48歳の秋、介護していた父も亡くした。

   肉親との別れは、何よりも悲しくつらい体験だった。その一方、人が生き、死ぬことの意味について、最大限の愛で教えられた気がした。そして、心にこみ上げてきたのは「私の人生はこのままでいいの?」という漠然とした疑問。日々の忙しさや体調を言い訳に、棚に上げていたエステサロン経営という夢と、もう一度向き合うことを決心した。2018年4月、拓勇東町に美容エステ「くつろぎサロン~Liens(りあん)~」を開いた。

   経営のノウハウなどなかったが、来てくれた人に少しでも笑顔になってもらいたい―との一心で、無我夢中で仕事に励んだ。オープン翌年の19年5月には中心街のまちなか交流センター・ココトマで、美と癒やしの体験型イベント「美とまるしぇ」もスタート。新たな出会いが次々と生まれ、回を重ねるたびに規模は大きくなっていった。

   気付けば、さまざまな立場の人から「こんなことに挑戦してみたい」「コロナで活動ができず、困っている」という相談も寄せられるようになった。「あの人やあの会社の協力があれば、何とかなるかも」と、人と人、会社と会社の間を取り持つ「つなぎ役」になる機会も増えた。それが企業の目に止まり、人脈を生かしたマーケティング調査やイベント企画などを任されるようになった。

   子育てがうまくいかず、人と比べてばかりで自信が持てない―。かつての自分では想像もできなかった今を生きている。「自分がつなげた先で、人の笑顔が生まれることが一番の幸せ」。はつらつとした表情でそう語った。 (姉歯百合子)

   石澤ともみ(いしざわ・ともみ) 1969(昭和44)年8月、苫小牧生まれ。苫小牧東高校卒業後、恵庭市の専門学校で学ぶ。7月にサロンの拠点を幸町へ移転。自らイベントを主催する一方、市民や団体、企業の依頼を受けてイベント開催やマーケティング調査などを行っている。苫小牧市幸町在住。

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