私が勤務していた東京の診療所では、「患者さんから贈答品をもらうのは原則禁止」となっていた。今はほとんどの医療機関がそうだろう。中には、「どうしても先生に受け取ってほしくて」と患者さんが置いていったお菓子や小物もすべて送り返す、というところさえある。「ちょっと徹底し過ぎでは」とも思うが、それが今のルールなのだろう。私もなるべく「気持ちだけありがたくいただきますから」と断るようにしてきた。
ところが、穂別診療所に来てから、その原則が揺らぎつつある。
とはいっても、受け取っているのは金品や高額の品ではない。患者さんが「これウチの畑で採れたので」「山菜採りに山に出掛けたのでおすそ分け」と野菜などを持ってきてくれることがあり、それは「わあ、すごい」と頂いているのだ。
ウドにニラ、トマトにキュウリ、ハスカップやアジウリなど。中には初めて見る山菜もあり、そういう場合は食べ方も指南してもらわなければならない。皆さん親切に教えてくれるが、「あれ、きょうって診察を受けに来たんだっけ、料理教室をしに来たんだっけ」と笑われたことがあった。私は「教室代も払わずに、診察代だけ払ってもらってごめんなさいね」と応じ、診察室内はしばし爆笑に包まれたのだった。
もちろん、厳格な人なら「自作の野菜や果物であっても贈答品に当たるから、受け取るべきではない」と言うだろう。自分でも「畑のトマトと商品券、線引きはどのあたりかな」と考え込んでしまうこともある。ただ、「先生、これ食べてみて。今朝採ってきたの」と新聞紙にくるまれ、差し出されるピーマンやインゲンを「お持ち帰りください」と突き返す気には、どうしてもなれない。
そんなことを東京の友だちに話したら、「それって町の人の親切に応えたいから? 単純にその野菜がおいしそうで、食い意地に負けたからなんじゃないの?」と言われた。しまった、バレてしまった。確かに穂別のきれいな空気の中、太陽の光を浴びて育った野菜は、どれも味が濃くて食べ応え十分。「蒸した野菜だけでおなかいっぱいになる」という体験を、私は当地に来て初めてした。
今週も、「収穫したけどちょっと形が悪くて出荷できないメロンを持ってきた」という患者さんがいた。「え、いいんですか。うれしいけど気を使わないでね」と言いながら、ちょっと顔がほころんでいたかもしれない。いえいえ、決しておねだりしているわけではありません。原則はあくまで、「患者さんからの贈り物は禁止」。そのルールを思い出しては、ときどき差し出される野菜や果物を前に”うれしい悩み”を抱く私なのであった。
(むかわ町国民健康保険穂別診療所副所長)