野鳥写真家 菅原 弘行さん(85) 最高の瞬間狙いただ静かに待つ 「美しさに気付いて」 カワセミは特別

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年7月9日
野鳥の美しさに魅了され、写真を撮り続ける菅原さん
野鳥の美しさに魅了され、写真を撮り続ける菅原さん
新婚当時に訪れた登別温泉で、妻こと子さんと記念撮影=1961年4月
新婚当時に訪れた登別温泉で、妻こと子さんと記念撮影=1961年4月
道内各地の滝を巡っていた頃の菅原さん=1998年8月、白老町インクラの滝
道内各地の滝を巡っていた頃の菅原さん=1998年8月、白老町インクラの滝
白老町内の自然調査で野鳥を撮影する菅原さん=2016年
白老町内の自然調査で野鳥を撮影する菅原さん=2016年

  日中戦争が始まった1937(昭和12)年、岩手県花泉町(現一関市)で7人きょうだいの末っ子として生まれた。8歳になったばかりの夏に終戦を迎えるが、戦時下の記憶はあまりない。ただ、10歳離れた兄の趣味の一眼レフカメラにいつも憧れのまなざしを送っていたことは、今も忘れない。

   中学卒業後、手に職を付けるため、大工の見習いとして宮城県栗原市の建築会社に住み込みで働いた。3年間の修業を終え、ためた給料で念願の一眼レフを購入。18歳から5年ほど関東や東北などを働きながら旅し、それぞれの土地の思い出をフィルムに刻んだ。

   北海道に初めて訪れたのは21歳の時。札幌市の地下鉄工事の現場で汗を流した。「カメラを携え、好きな旅をしながら働いた。楽しい時代だった」と振り返る。

   1961年、24歳の時に同郷のこと子さんと結婚。その後、白老町へ移住した。当時、大昭和製紙白老工場の操業で町の人口が増え、住宅需要が高まっていたことから「仕事に困らないだろう」という考えからだった。78年に1級建築大工技能士の資格を取得し、棟梁(とうりょう)として活躍。雨の日以外に休みなく働き通しだったため、体を壊して一時休職を余儀なくされたこともあった。

   50代に差し掛かったある日、新聞で見つけた滝の写真に魅せられた。「日本の滝100選」に選ばれた道内の滝巡りを妻と楽しみ、登別市の聖の滝や白老町のインクラの滝などを訪れては、その迫力の風景にレンズを向けた。

   大工を引退した2003年の初冬、自宅の庭にダイサギが降り立った。この時、幼少期を過ごした実家のふすまに描かれた美しいサギの姿をふと思い出した。「野鳥の魅力を写真に収めたい」。そう思い立ち、ハヤブサの撮影で知られる同郷出身の野鳥写真家、熊谷勝さん(64)=室蘭市在住=からアドバイスを得て撮影の腕を磨いた。

   自身の撮影手法も見つけ出した。夜明け前の午前3時ごろから地元のポロト湖やヨコスト湿原に出掛け、撮影ポイントでじっと動かずにひたすら鳥を待つ。「4日出掛けてシャッターを1回切れたらいい方。他の写真愛好者と争って前に出ることもなく、ただ静かに待つ。撮影者の気持ちは写真に現れるものだ」

   日の出のわずかな光と、飛来の瞬間に捉えた写真には、湖水の波紋に反射したカワセミの姿が幻想的に映し出されている。カワセミは光の当たり方によってコバルトブルーやエメラルドグリーンにも見える特別な鳥。これまで160枚もの撮影に成功した。

   10日まで苫小牧市民活動センターで開かれる「北の野鳥フォトクラブ」展に新作5点を出品中。「自分が撮った写真で野鳥の美しさに気付いてくれれば、うれしい限り」と笑顔で話した。      (半澤孝平)

  菅原 弘行(すがわら・こうこう) 1937(昭和12)年8月1日、岩手県生まれ。白老町の「ヨコスト湿原友の会」創立メンバー。無加工の幻想的な野鳥の写真撮影を得意としている。白老町東町在住。

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