日本野鳥の会苫小牧支部副支部長 奥山 博美さん(65) 自然環境守る大切さ伝えたい 野鳥に魅せられ深めた知識 勇払原野の生き物を点描画で描く

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年5月7日
自作の点描画展を開催する奥山さん
自作の点描画展を開催する奥山さん
参加者が胴長を着て美々川で行った観察会のガイドを務める奥山さん(左から2人目)=2001年8月
参加者が胴長を着て美々川で行った観察会のガイドを務める奥山さん(左から2人目)=2001年8月
捕獲した野鳥に標識を付けて放し、渡りの実態を調べるバンディング調査を手伝う奥山さん=1980年代
捕獲した野鳥に標識を付けて放し、渡りの実態を調べるバンディング調査を手伝う奥山さん=1980年代
中学生時代に友達とカメラに収まる奥山さん(右)=1970年ごろ
中学生時代に友達とカメラに収まる奥山さん(右)=1970年ごろ

  苫小牧市植苗のウトナイ湖野生鳥獣保護センター。2階のギャラリースペースに、勇払原野の動植物を丁寧に描いた点描画がずらりと並ぶ。29日までを期間とした新作展。木の板に描いた下書きにはんだごてで焦げ目を付け、輪郭や陰影を表現する。「勇払原野にたくさんいる動植物に興味を持つきっかけになれば」。そんな思いを作品に込めている。

   室蘭市生まれで、6人きょうだいの長男。家計を支えるため、中学卒業後に就職した。仕事の関係で苫小牧に移り住んだのは1978(昭和53)年。今では日本野鳥の会苫小牧支部副支部長を務め、観察会のガイドも任されるほど動植物の知識を豊富に持つ。だが、苫小牧に引っ越してきた当時はほとんど知識がなく、小学生時代に鳥などが好きで一時飼っていた程度だったという。

   自身を変えたのはウトナイ湖。日本野鳥の会が同湖を「サンクチュアリ」に指定し、81(昭和56)年に開設したネイチャーセンターに立ち寄ったのが契機となった。オープン間もないセンターに初めて訪れた際、近くでシマエナガを見つけたことをレンジャーに伝えると、他の野鳥のことも次々と教えてくれ、野鳥の世界に興味が湧いた。

   休日になればセンターへ通い、全国各地から訪れるボランティアとも交流した。「市外から多くの人がウトナイ湖のために活動していると知り、地元として何か協力しなければ」。そう思うようになり、知識欲に火が付いた。

   野鳥について学ぶうち、鳥が羽を休める木々に関しても知りたくなった。草木を調べる中で、そこに集まる昆虫についても勉強した。「知れば知るほど、知りたいことが増えた」と言う。次第に「学んだことを誰かに伝えたい」との感情が芽生え、ガイド役を引き受けるようになった。「これは何ですかと聞かれ、答えられないのが嫌だから」。今も図鑑をめくるのが習慣だ。

   ゴールデンウイークは自身の点描画展へ足を運び、来場者からの質問にも答えた。説明する際、自分からの問い掛けも大事にしている。例えば「なぜ、葉っぱに穴が開いていると思う」と尋ねると、子どもたちは真剣に考えてくれる。ひねり出した答えに解説を加え、さらに質問を重ねる。「自然への興味を広げてくれれば」との期待からだという。

   ライフワークの勇払原野だけでなく、街を歩き、道端の外来植物の調査も丹念に続けている。「野鳥が生きていくため、どんな環境が必要なのかを考えていくと、植物や虫の存在も大事になる。すべてがつながって自然があることを知ってほしい」。地球規模で環境悪化が心配されるからこそ、守る大切さを伝えたい、その思いはあふれるばかりだ。

 (河村俊之)

   奥山 博美(おくやま ひろみ) 1957年2月、室蘭市生まれ。非破壊検査技術者として製油所や発電所などの欠陥調査に携わる一方、自然観察を楽しむ。千歳川放水路計画の反対を仲間と共に訴えた記憶が強く残る。苫小牧市北栄町在住。

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