1日死去したサッカーの元日本代表監督、オシムさんは、多くの名言を残した。深い洞察力やサッカー観、人生観がにじむ言葉の数々は、Jリーグ市原(千葉)監督の頃から話題となり、「オシムの言葉」(木村元彦著、集英社インターナショナル)はベストセラーになった。同書にない言葉も含む「オシム語録」は。
「PKはくじ引きみたいなもの」(旧ユーゴ代表監督時代の1990年W杯イタリア大会準々決勝、アルゼンチン戦でPKを見ずにロッカーへ。試合はユーゴが敗れた)
「戦争から学べたとすれば、それは必要なものになってしまう」(90年代、祖国の内戦を乗り越えて欧州でクラブ監督を歴任)
「君たちはプロ。休むのは引退してからで十分」(2003年1月、市原監督就任あいさつで)
「ライオンに追われたうさぎが逃げ出すとき、肉離れをしますか? 準備が足りないのです」(03年夏、選手のけがについて)
「つくり上げることは難しい。でも、つくり上げることの方がいい人生」(05年、千葉を強化した手腕を評価されて)
「日本は経済先進国だが、サッカーもすぐ世界トップになれるとは思わない方がいい」(06年7月、日本代表監督就任記者会見で)
「90分間走れない選手がいた。日本人は相手よりどれだけ走れるかで勝負しなければ」(06年8月、初指揮のトリニダード・トバゴ戦後に)
「天才ぶりを発揮する機会は何回かに一度。いつも天才であろうとすると、結果は無残に終わる」(07年3月、ペルー戦で中村俊輔のプレーについて)
「お前たちはアマチュアか。プロの私は死ぬ気でこの試合に臨んだのに、そういう気持ちがあったのか」(07年7月、アジア・カップ初戦でカタールと引き分けて)
「今年1年で、いくらかは進歩していると言っていい」(07年10月、最後の指揮となったエジプト戦後に) 「試合は?」(07年12月、急性脳梗塞で入院中に意識を回復して最初に発した言葉とされる)
「サッカーが原因で病院に行かなくてはならなくなったが、そこから戻るのもサッカーの力だった」(08年6月、日本サッカー協会のアドバイザーに就任して)
「南アフリカ(のW杯)で世界のサッカー界の記憶に残る何かを成し遂げてほしい。日本にはそういう潜在能力がある」(08年12月、アドバイザー退任に際して)