錦西ふる里の家教会 司式牧師 桐生信さん(74) 苦しみ抱える心に寄り添う 人とのつながり希薄な 世の中で「できることを」  「聖書の教え」道しるべに奉仕活動励む

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年4月9日
自作した石灯籠の前でほほ笑む桐生さん
自作した石灯籠の前でほほ笑む桐生さん
妻雅子さんとの結婚式。左端が宣教師のハービー氏=1976年
妻雅子さんとの結婚式。左端が宣教師のハービー氏=1976年
司式牧師としてカップルの門出を見守ってきた=2010年ごろ
司式牧師としてカップルの門出を見守ってきた=2010年ごろ
60歳から毎年出場している高齢者主張発表会(前列左から2人目)=2012年11月
60歳から毎年出場している高齢者主張発表会(前列左から2人目)=2012年11月

  人が生きる意味とは―。10代にして人生の大きなテーマと向き合ったことをきっかけに、キリスト者(クリスチャン)となった。仕事が続かず、挫折を味わったことも。それでも信仰を支えに、多くの人と心を通わせてきた。病気や貧困、戦争などで混迷を極める今、生きる気力を失った人の声に耳を傾け、傷ついた心に寄り添う相談活動に力を入れ始めた。「自分の力は本当に微力だけど、少しでも誰かの助けになれば」と力を込める。

   札幌市で暮らしていた18歳の頃、人間の幸福や人生の意味について考え始めた。「どんなに有名になったり、どんなに金持ちになっても、人はやがて死ぬ」と考えるとむなしい感情に襲われ、何のために生きるのか分からなくなった。

   そんな迷い道の中で出合ったのが、聖書の教えだった。生きる上での大きな道しるべを手にした瞬間、常に付きまとっていたむなしい気持ちが消えてなくなるのを感じた。

   大学卒業後、パンの製造を手掛ける札幌の会社に就職したが、社会とうまくなじむことができずに退職。教会やペンキ店のアルバイト、大工の手伝いなどをしながら大学の研究室に通い、理科の教員免許を取得した。

   大きな転機を迎えたのは20代後半となった1975年。ニュージーランド出身の宣教師ハービー氏に誘われ、札幌から苫小牧に移り住んだ。縁もゆかりもない土地だったが、精神医療を手掛ける市内の病院で勤務しながら、ハービー氏が立ち上げた旧苫小牧聖書センターで聖書の学びを継続。結婚し子どもも授かった。

   同センターの牧師を務めたハービー氏は熱心な伝道に加え、ニュージーランド・ネーピア港と苫小牧港の姉妹港提携に関わるなどまちに貢献した後、帰国。このため関係者から後任を依頼され、一時は迷ったものの、ハービー氏の精神を継ごうと82年、牧師に就いた。高校の理科講師と兼務しながら、60歳を過ぎた頃まで続けた。それらと並行して、結婚式場で司式牧師も務め、数多くのカップルの門出を祝福してきた。さらに高齢者や子ども、外国人などの生活や地域活動を支援する奉仕活動にも励んできた。

   2009年からは市主催の高齢者主張発表会に連続出場。「聖書は事実」という観点から人間を含む生物の根源に迫る発表を続けた。12回目の出場となった昨年度は「創造の世界について」というタイトルで、これまでの主張内容を総まとめした。

   孤独の中で苦しみを抱える人の助けになりたいと、新たな活動にも着手した。昨年秋、経済的な事情で通夜や告別式などを行わない人の元へ無料で赴き、弔いの祈りをささげる奉仕活動も始めた。今年に入ってからは「命のでんわ牧師」として夜間の電話相談も開始。相談者の中には「死にたい」と訴える人も。コロナ禍で人とのつながりが薄くなり、どう生きていけばいいか分からず苦しむ人が増えていると感じる。「地域のため、自分にできることを尽くしたい」と静かに語った。(姉歯百合子)

   桐生 信(きりゅう・まこと) 1947(昭和22)年12月、札幌市生まれ。酪農学園大学酪農学科卒業。67(昭和42)年、キリスト者に。苫小牧中央高校や苫小牧高等商業学校で理科講師も務めた。苫小牧市錦西町在住。

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