「支えてもらった恩返しを」DF 川島有紀子―スマイルジャパン 引退選手インタビュー(3)

  • スマイルジャパン引退選手インタビュー, 特集
  • 2022年4月9日
仲間との最後のチーム練習で汗を流す川島
仲間との最後のチーム練習で汗を流す川島
川島有紀子
川島有紀子

 ―引退と理学療法士に専念する決意について。

 「五輪出場とペリグリンで国内大会の2冠―。二つの大きな目標が達成できたタイミングで、競技を引退して理学療法士としてスポーツ選手を支えていくと決めた。けがで苦しんできた自分の経験を生かして、今後はけがをしたスポーツ選手の将来が明るくなるように身近でサポートしていきたい。これまで支えてもらった分、別の形で恩返しができたら」

 ―北京が初の五輪出場になりました。

 「小学生時代に五輪の舞台に憧れ、これまでずっと目標にしてきたけどソチ、平昌と代表メンバーに選ばれず悔しかった。北京五輪でようやくたどり着いて、描いた夢を達成することができた。終わってみるとあっという間で、寂しい気持ちもあるけど、チーム一丸となって予選1位通過での決勝トーナメント進出も果たし、とても内容の濃い時を過ごせた。最高の仲間と一緒に戦えたことは人生の大きな宝物になった」

 ―選手としての努力と苦悩は。

 「肩のけがと一緒に歩み続けた競技人生だった。つらいこともたくさんあったけど、五輪出場の夢を追って必死に乗り越えてきた。持ち味のパワーと体力、気持ちの強さを軸にDFとして体を張った守りのほかに、FWに良いパスをつなげるように球出しの練習もたくさんした。ウエートトレーニングでは上半身を鍛えて体づくりに励んだ。悩むこともあったが諦めずに突き進んできてよかった」

 ―ペリグリンでの競技生活は。

 「たくさん成長させてもらった場所。みんな仲が良くて、仲間のために全力を尽くしたいと強く思えるチームだった。高い目標を持った選手が多い環境で周りからの刺激もあり、自分も強くなれた。ペリグリンでプレーできたことは私の財産になったし、幸せな時間だった」

 ―プロフィル

 川島有紀子(かわしま・ゆきこ)

 1996年11月、札幌市生まれ。理学療法士(西岡第一病院)、北京五輪代表。道路建設ペリグリン所属、25歳。

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