女子アイスホッケー日本代表(スマイルジャパン)で活躍してきたFW米山知奈(30)=道路建設ペリグリン=、FW藤本もえこ(29)=トヨタシグナス=、DF川島有紀子(25)=道路建設ペリグリン=、FW獅子内美帆(29)=トヨタシグナス=の4選手が長く続けてきた競技人生に幕を下ろした。トップで活躍してきた4人に競技や引退の心境について聞いた。
(全4回掲載)
―引退を決めた理由、心境は。
「平昌を終えて、次の五輪で引退すると決めていた。北京までの4年間、自分の可能性に挑戦しよう―と一つ一つの練習や時間を大切に過ごしてきた。若い選手が多く、新しい風が吹くチームでプレーすることで自分も成長させてもらった。今の若い世代は技術があってレベルが高い。これからの選手たちにはわくわくしかない。今後はファンとして応援していきたい」
―3度出場の五輪について。
「2008年のバンクーバー五輪予選で敗退し、五輪出場を果たせなかった先輩方の悔しさを背負って『次は自分たちの世代が五輪の切符をつかむ』という気持ちで突き進んできた。同世代選手と高いレベルを目指して一緒にプレーする中で自分も成長できたし、たくさんの期待に応えるために全力で戦ってきた。五輪は素晴らしい舞台、挑戦できて幸せな日々だった」
―国内でのプレーについて。
「海外への挑戦は考えなかった。周りの選手が続々と海外に行ってレベルアップを図る中で、自分は国内に残って、日本の競技レベル向上に貢献したいという自覚が芽生えた。海外でのプレー経験を経て帰国した選手からも、いろんなことを学んでより高いレベルに向かって女子アイスホッケー界が動きだしたことで、着実に日本のレベルも上がったし、成長を続けている」
―競技人生を振り返って。
「いろんな出会いがあった。ペリグリンでは久保英恵さんから多くのことを学んだ。初めてペリグリンで得点したのは久保さんと一緒にプレーしていた時。今でも思い出のゴールのパックとして家に飾っている。世代が強かったことに恵まれ、一緒に戦ってきた周りの選手のおかげで自分も強くなれた。人間的にもたくさん成長できたし、アイスホッケーという競技に感謝している」
―プロフィル
米山知奈(よねやま・はるな)
1991年11月、苫小牧市生まれ。苫小牧東高出。ソチ、平昌、北京と3度の五輪出場。道路建設ペリグリン所属、30歳。