苫小牧小売酒販組合理事長 二階堂 徹さん(72) 地元事業者支援に全力 コロナ禍で厳しくも「今が頑張り時」 苫東高サッカー部初代キャプテン

  • ひと百人物語, 特集
  • 2022年4月2日
「コロナ禍を乗り越えるためには謙虚で建設的な精神が大切だ」と話す二階堂さん
「コロナ禍を乗り越えるためには謙虚で建設的な精神が大切だ」と話す二階堂さん
高校時代、サッカー部で活躍した二階堂さん(左から3人目)=1967年ごろ
高校時代、サッカー部で活躍した二階堂さん(左から3人目)=1967年ごろ
家族と写真に納まる二階堂さん(前列左から2人目)=1959年
家族と写真に納まる二階堂さん(前列左から2人目)=1959年
苫小牧東高3年時の二階堂さん(3列目の左から8人目)=1967年ごろ
苫小牧東高3年時の二階堂さん(3列目の左から8人目)=1967年ごろ

  長年、小売酒販業界に携わってきた。大手小売店の進出により、地元業者が売り上げ減少に苦しむ中、地域の業界団体代表として、たばこや酒類業界の支援に努める。苫小牧地区保護司会の副会長など各種団体でも役員を歴任し、札幌家庭裁判所苫小牧支部の調停委員も務める。

   1949年8月、白老町で生まれた。2歳の時に苫小牧市緑町に移り住み、若草小と緑小、和光中に通った。少年時代、自宅周辺の広場で遊んだ。苫小牧東高校に進学後、サッカー同好会に入り、1年後に部となった際、初代主将を務めた。室蘭大谷高校(当時)との試合で得点を決め、勝利したこともあるという。

   北海道自動車短期大学工業科を卒業後、70年から76年まで東京の企業に勤め、経理を担当した。「何かしたい」との思いが強くなり、苫小牧に戻って父親が経営する会社、二階堂に入社。酒類販売業と不動産賃貸業に関わるようになった。「当時、汐見町の市場で手伝いをしたり、店で酒が売れ始めたりして忙しかった」と振り返る。

   その後、苫小牧にも大型スーパーが進出し始め、同業者がコンビニエンスストアに業態を変えていった。さらに最近では、新型コロナウイルス感染拡大による飲食店の休業で、業務用の酒類販売が減少を余儀なくされた。2012年から苫小牧小売酒販組合と苫小牧酒販協同組合の理事長を務める二階堂さんは「小売業だけでは難しい時代、コンビニか配達などで生き残りを図る必要がある。コロナ禍で厳しい時期だが、今が頑張り時だ」と歯を食いしばる。

   44歳の時、同じ町内会の男性から保護司にならないかと持ち掛けられた。最初は断っていたが、周囲に相談した際、「保護司は推薦がないとなれない。試験と違って一番難しいこと」と言われ、引き受ける決心をした。犯罪や非行により保護観察となった人たちと向き合い、社会復帰を支援してきた。知識を得るため、カウンセリングの研修を受講したこともある。

   08年から札幌家庭裁判所の家事・民事調停委員や参与員を務め、裁判官や弁護士などと共に私人同士の紛争解決に当たってきた。3月で家事調停委員の任務を終え、4月からは民事調停委員と参与員を継続する。

   これまで培った経験を生かし、酒類販売管理研修のコア講師や南北海道たばこ販売協同組合の副理事長なども務める。会合などで頻繁に外出する生活は相変わらずだ。

   「忙しい時もあったが、妻のおかげで続けることができている」と感謝の言葉を口にする。任期がある限り、これからも数々の役職に全力を尽くす。

  (室谷実)

   二階堂 徹(にかいどう・とおる) 1949(昭和24)年8月、白老町生まれ。2歳の時に苫小牧市へ移り住む。酒類販売業や不動産賃貸業を営む傍ら、保護司として更生保護活動に携わり、市の2015年度の自治貢献者に選ばれた。苫小牧市緑町在住。

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