「努力に勝る天才無し」―。中学時代の恩師がくれた言葉を胸に、苫小牧市日吉町の板野勝さん(79)は激動の時代を駆け抜けてきた。よく遊び、よく学んだ半生を「出会った人への感謝でいっぱい」と振り返る。
戦時中の1942年、穂別町(現むかわ町)で4男3女の3男として産声を上げた。実家は農家だったこともあり、戦後の厳しい食糧難でも食べるものには困らなかったという。
61年春に高校を卒業後、地元の富内木材工業に就職。入社後は造材部の係員として、極寒の山中で肉体労働に追われた。沢水を飲み、ドラム缶風呂に入る日々を送った。
24歳で本社の労務担当に配属された。当時の上司から「これからは資格の時代」とアドバイスされ、社会保険労務士や衛生管理者免許、毒物劇物取扱主任者免許など10種の国家資格を取得した。試験勉強に没頭し、「午前0時前に寝たことがないくらい、勉強漬けの日々だった」。
67年に同郷の妻チエ子さん(76)と結婚し、2人の息子に恵まれた。工場建設や工場長も担当していた板野さんに転機が訪れたのは73年。フジタ産業(苫小牧市晴海町)にスカウトされ、同年9月に転職した。建材の営業を22年にわたって担当し、全世界を駆け回った。ロシアや中国から木製品を仕入れ、ベトナムでは半年間工場建設に携わった。「今思えば良い思い出だが、当時は失敗が許されず、ものすごく勇気のいる仕事だった」と懐かしむ。
工場長や子会社の運送会社社長といった重役に着任した際は「『何事にも総力を結集する、個人の特性を最大限生かす、社員に自信を持たせる』をモットーに、とにかく人を重んじていた」という。
2005年末に定年退職し、翌年4月からは資格と実務経験を生かし「板野勝社会保険労務士事務所」を開業。顧客から全幅の信頼を寄せられ、今年で16年目になる。「仕事を持っているという緊張感が健康を維持できている秘訣(ひけつ)かもしれない」と笑顔だ。
「第二のふるさと」と語る日吉町には1979年に転居。町内会には2004年に入会し、10年から会長を務めている。毎年8月に開催する納涼盆踊りは会員かどうかを問わず500人が集まるビッグイベントだが、コロナ禍の影響を受け、断腸の思いで2年連続の中止を決めた。「残された人生を懸けて、より良い町内会にするのが僕の仕事」と使命感を燃やす。
「僕の人生は出会った人への感謝でできている。支えてくれた家族や関わっている全ての人を大切にしながら、生きているうちに微力でも恩返しがしたい」―。そう語る目には力強い意志がこもっている。
(倉下鈴夏)
板野 勝(いたの・まさる) 1942(昭和17)年7月、穂別町(現むかわ町)生まれ。学生時代は野球に明け暮れ、中学時代は陸上部も掛け持ちしていた。社会人になってからはゴルフに打ち込み、200人規模の大会で優勝した経験も。町内会行事でリクエストを受けるほどのカラオケ好きで、橋幸夫「霧氷」がおはこ。苫小牧市日吉町在住。