元小学校教員の神國朝さん(78)は苫小牧市内5校でアイスホッケー同好会の指導に当たる傍ら、毎冬学校のグラウンドに造成したスケートリンクで体育授業を行った。「遊びながら楽しく」をモットーに、30年以上にわたって大勢の氷都苫小牧っ子に冬競技の魅力を伝えてきた。
1971年の美園小赴任時にアイスホッケー同好会の監督となったことがきっかけだった。「いかに早く学校リンクを完成させるか」と天候の状況によって散水の回数や量などを調整。毎冬試行錯誤を繰り返した。
製氷は時に深夜にも及ぶ作業だが、同好会の児童の保護者と「子どもたちのために」と思いを一つにしながら奮闘した日々を懐かしむ。
スケート授業は、単純な基本動作の伝授ではなく、鬼ごっこやリレーなど遊び要素を必ず取り入れた。「その中でスケートの醍醐味(だいごみ)を味わう感覚が大切だと思った」からだ。効果はてきめん。リンクには日増しにスケート技術が向上し、笑顔で滑る児童たちの姿であふれた。
84年から8年間勤務した緑小時代には、スケートをより楽しめる道具を考案した。その名も「いすスケート」。思うように滑ることができず、リンク脇のフェンスにつかまる時間が多い児童や特別支援学級生向けに製作した。古くなった学校のいすにスケートの刃を模した鉄を溶接した補助用具だ。溶接工事などに明るい同好会の保護者の協力で完成にこぎ着けた。
スケートの得意な子が授業になじめない友人をいすスケートに乗せて力強く滑走する。憂鬱(ゆううつ)に感じていた児童も、いつしか自ら進んで靴を履いてリンクに向かうようになった。「苫小牧っ子にとって、スケート授業が一番楽しみだったのでは」と笑みをこぼす。
授業をきっかけに、アイスホッケー競技の道へ進んだ児童も多かった。元日本アイスホッケーリーグ古河電工でDFとして活躍した平野利明さん(58)は美園小時代の教え子。「クラスのみんなでわいわい滑るのが本当に楽しかった。苫小牧でスケートに親しむことは当たり前だった」。
胆振管内の新卒教員を集めたスケート授業講習も精力的に行い、スケートのまち苫小牧のスポーツ文化伝承に大きく貢献してきた。
現在の小学校のスケート授業は、苫小牧市教育委員会の予算補助を受けた全校が市の施設で実施する一方、学校リンク造成は年々減少し、2021年度はわずか4校にとどまった。
神さんは「教員のみで行うリンク造りや気候の温暖化による維持の大変さを考えれば仕方のないことかもしれない」と言う。小学年代からスケートに親しむ重要性を説きながら「市の施設での授業機会は絶対に絶やさないでほしい」と願っている。(石川優介)