1945年8月、樺太の北緯50度線付近から南の留加多町まで逃避した男性への取材が忘れ難い。徒歩で単独400キロ強を踏破した人は証言時96歳。旧ソ連軍来襲に遭った状況の記憶も克明だった。
先の大戦後、戦争体験のない日本人としてこれまで生きてきた記者は、もしも「敗走」する軍の一兵卒になったら、と時折想像に駆られる。イタリア映画「ひまわり」(1970年)の強い印象に導かれるからだ。
厳冬期の雪が覆い尽くす大平原を傷つきながらさまよう一団があり、燃え尽きたように兵士が一人、また一人と倒れていく。やがて雪中に防寒着を着た人物が現れ、あわや絶命の兵士一人を無心に助けようとする―。
第2次大戦時、枢軸国側としてドイツと共に旧ソ連領へ軍を進め、敗退を余儀なくされたイタリアの国民的経験が物語に色濃く反映しているのだろう。平時にあった庶民一人ひとりの幸福を戦争がいかに引き裂くのかを描いた名作は色あせない。戦場だった雪原が夏に見渡す限りのヒマワリ畑になる絶景映像が主人公男女の哀惜を際立たせた。戦後、西欧の映画として旧ソ連国内で初めて撮影された作品で、ロケは当時ソ連領域内にあったウクライナで行われた。
独立後の今日になってロシアに軍事侵攻された国。攻める側は動きを止めない。抵抗と同時に難民が大勢退避する報道が日々続いている。欧州の戦乱がウクライナで繰り返したことをこれから決して忘れまい。(谷)