ザッ、ザッ―。氷都苫小牧市の冬空に、スケートで氷を削るなじみ深い音が響いた。2月、苫小牧西高校屋外リンクで恒例のスケート授業が行われた。
アイスホッケー、フィギュアといったスケート靴を持参した生徒たち。毛糸の帽子や手袋など転倒時のけが予防に欠かせないアイテムを身に着け靴ひもを結ぶと、一目散に氷上へ繰り出した。さすが氷都育ち。すいすいと滑る生徒の姿がリンクいっぱい広がった。転んでも「痛くない」とへっちゃらだ。
「次はホッケーするよ」。体育教員の加茂久貴教諭(31)の号令で、ひときわ生徒たちが沸いた。アイスホッケースティックと硬質ゴム製のパックを使って、パス練習や1対1のパックの取り合い、最後はミニゲームで汗を流した。
角田快斗さん(1年)は「スケートの授業は毎回楽しみにしている」と笑顔。青山菜緒さん(2年)は「いつも最後にアイスホッケーの試合ができてうれしい」と喜んだ。
ただ、その光景は今年度で見納めになる。教員の深夜作業を伴うリンク造り、施設の老朽化などを理由に苫西高は2022年度以降のスケート授業を断念。教員の負担軽減、地球温暖化の中でのリンク造成、維持の大変さなどを理由にスケート授業を中止した苫小牧南(12年度)、苫小牧東、苫小牧工業両校(00年ごろ)を含め、スケート授業は市内の公立校から消滅することになった。
1919年の苫小牧町立女子実業補習学校開校からスタートした苫西高。創立100周年記念誌によると、高等女学校時代の1926年から「冬期間の体育の時間には町費を以て下駄スケートを購入し、これを生徒に貸し与え、下駄スケート競技が授業の一環となった」と記されている。
同高最後のスケートリンク造成を担った加茂教諭は2017年4月に赴任。伊達市出身でスケートとは縁がなかったが「生徒たちは毎年のスケート授業を楽しみにしている。氷都苫小牧の伝統を何とか残したい」との思いがあった。
きっかけは、赴任時に同高アイスホッケー部の監督、体育教員としてリンク造りをしていた小野崎優教諭(46)=現苫小牧工業高=。「水をまくだけ氷が厚くなるわけじゃない。気温に合わせたタイミングが重要」と製氷時のこつはもちろん、「スケートのまちの文化を守る」意義を事あるごとに伝えてくれた。
気温が下がった日没後の作業が中心で、苦労がなかったと言えばうそになる。それでも「最初は氷の上に立つことさえやっとだった生徒が、気付けばスピード感あふれる滑りを見せてくれる。休みの日に市の施設で滑走した話をしてくれる生徒もいて、やりがいを感じていた」と目を細める。
実技的なスケート授業はなくなるが「スケートとの関わりを無くしたくない」と、学習指導要領の改訂に伴い22年度から始まる総合的な探究の時間を利用し「氷都の文化に触れる機会を模索したい」と思案に暮れる。
(北畠授、石川優介)
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スケートの街苫小牧にかつてあふれていた、学校リンクを使ったスケート授業の風景が失われつつある。小中高各年代のアイスホッケーチーム減少、教育現場の変革に伴うリンク造成や授業実施の難しさ―。苫小牧っ子の笑顔が広がった在りし日のスケート授業の様子や、氷都の伝統文化をつなぐためのヒントを探った。4回連載。