今年は苫小牧港にフェリーが就航して半世紀の節目に当たる。本紙新年号で紹介していた。
第1船の「しれとこ丸」が入港したのは1972年4月29日。当時の苫小牧港はまだ東港の建設前で、現在の西港が石炭の積み出し港として開港してわずか9年足らず。工業港区の掘り込みでしゅんせつ、岸壁の建設が盛んに行われていた頃だ。「青いハイウエー」と形容されたフェリー航路の誘致は、太平洋岸の港にとってまちの未来を懸けたプロジェクトで、しのぎを削った苫小牧と室蘭両市の誘致合戦は「苫蘭戦争」とさえ言われた。
記事を読んで経過を振り返っていたら、就航間もない頃、関東に出張した父がフェリーで帰苫し、家族で埠頭(ふとう)に迎えに行ったことを思い出した。土産にメダルをくれた。自室の小物入れに今もある。見ると銀のメッキは少し剝がれているが、日本沿海フェリー(現商船三井フェリー)のキャラクターが描かれ、縁に「しれとこ丸」の打刻がある。メダルがうれしくて友達に自慢した。子どもながらも古里が港町であることを感じた出来事だったかもしれない。
コロナ以前は年間80万人が利用し、苫小牧港の貨物量の半分を占める5000万トン超を扱っている。室蘭八戸のフェリー航路が1月に休止したことを踏まえれば、苫小牧はいっそう港の防災機能を強化、高度化し、いかなる時も物流を確実に支えることが不可欠だ。本道と地域の経済、暮らしを支える。(司)