『人権』、突然ですが、この言葉のイメージはどんなものでしょうか。複雑で難しく感じる人も少なくはないと思います。ただ、本来人権とは生まれながらにして持つ、人間が人間らしく生きる、身近にある権利です。ですがその一方、人権問題も身近にあることを忘れないでほしいです。今回、私は人権問題のうち『差別』について考えます。
『差別』と一言で言ってもその対象範囲は広く、また、SNSでの書き込みによる差別的な発言も増えています。
外国から日本に移住した男性が、肌が黒いことをいじられたり、外国人だからとアパートを貸してもらえなかったりと差別的な発言や行為があったというニュースを目にしました。そのときの私の中では「なぜだろう?」の一言でした。肌が黒いから、外国人だから。この理由で差別をしたのか、それとも差別をする気は無かったのか。後者の場合だと『差別』に対する考えや基準が違うのでしょう。それなら「仕方ない」で済むのでしょうか。私は違うと思います。彼は彼らしく生きる権利を持っています。ですから、誰も悪く言ってはいけないし、差別もいけないことです。
さて、話は変わりますが、次のことについて皆さんはどう思うでしょうか。
私の身近にPCR検査で陽性と判断された方がいました。数週間後には回復し、通常通りの生活に戻ったのですが、その方に対する心ない声を多く耳にしました。
「コロナが来た」
また、名前をコロナと関連づけたり、中にはその方を避ける人もいました。
これは実際に起こった話です。確かに私も含め不安に思った人もいました。とはいえ、その方が回復された時にはその気持ちは薄れていきました。その中で一部の人の行動に対して行き過ぎだと思う人も多く見られました。その行動は差別に当たると私は思います。PCR検査で陽性だから差別をする。回復されたけれど、近づいたら陽性と判断されるかもしれないから避ける。これは相手の心や人権について考えていない行動で、あってはならないことです。また、誰がいつ感染してもおかしくない現状で、さまざまな人々の努力で当たり前のように日常生活が営まれています。この状況で誰かを差別するのはおかしいと思いませんか。本当に怖いのはウイルスではなく、そこを利用して差別をする人ではないでしょうか。
私はこの二つのことから、差別の身近さや人権の大切さを再認識できました。同時に、時に相手の心を想うことの重要性も感じられました。自分以外の人に対して感情を抱くのは自分にも権利があるため、禁止することはできません。また、相手の考え方や想いを無理に変えることも不可能です。自分にも相手にもそれぞれ違った想いがあるのです。私は相手の想いも考えずに、自分と異なるから差別することは間違っていると思います。それをいじめととらえる人もいるかもしれません。いじめでも差別でもしている側は『そんなつもりではなかった』と言うでしょう。では、されている側はどう思うのでしょうか。どう感じるかを想像できれば問題は減ると思います。いじめや差別の基準は決められないため、差別をゼロにするのは難しい部分もあります。しかし、一人一人の意識の向け方や報道の仕方や伝え方によってはゼロに近づけることは可能だと思います。多くの人が「関係ない」と思っているかもしれませんが、この主張から1人でも人権や差別について「関係ある」と思うきっかけになってほしいです。誰か1人でも考え直せば、差別ゼロへの第一歩になると信じています。私はどんな人も差別がなく、自分自身を誇ることができ、相手の想いも尊重できるような、想(こころ)を想い合える世界になることを強く望んでいます。