今でもはっきりと覚えています。5年ほど前、小学校3年生の夏休みのことでした。僕は友達3人と一緒にプールに行きました。その時の出来事です。
プールで遊び疲れた僕は、1人でサウナ室で休むことにしました。すると、僕の正面に座っていたおじさんが、「今、何年生?学校は楽しいかい?」と話しかけてくれて、そこから会話が続き、いろいろな話をしました。
おじさんは、自分の過去のことを教えてくれました。小さい頃サッカーをやっていて、プロを目指していたこと。しかし、ある時を境にサッカーをやめたこと。そして、その理由は、交通事故で右脚を失い、義足になったからだということ。さらに、そのためにイジメを受けていたことも…。
その頃の僕には、難しい言葉も多く、義足のことも知らなかったので、「ぎそく…って何?」と聞いてしまいました。するとおじさんは、嫌な顔ひとつせず、実際に義足を外して「これだよ」って見せてくれたのです。
僕は、おじさんが足を取ってしまったことにビックリして、そして、怖くなって、泣きながらサウナ室を飛び出し、プールの係員さんに、「おじさんの足がとれちゃった!」と伝えました。すると係員さんは、急いでサウナ室に向かい、そのおじさんが義足だということを確認しました。そのあと、僕の名前を聞いてから、優しく語りかけてくれました。
「はるひ君、世界中には、たくさんの人がいるよね。みんな同じ人だと思うかい?」
聞かれた僕は、「いや、同じじゃないと思う」と答えました。すると、係員さんは、「そう。人はみんな違うんだ。みんな違ってみんないいとも言うし、違うからケンカだってするし、得意や不得意も、好き嫌いだってある。それは、人それぞれで、それを『個性』って言うんだ」
僕は、その時はじめて「個性」という言葉に触れました。係員さんは続けます。
「はるひ君は、耳が聞こえるよね。でも、聞こえない人だっている。はるひ君は目が見えるよね。でも見えない人だっている。肌が黒い人も白い人もいる。健康な人も、手足が不自由な人もいる。日本語を話す人もいて、英語を話す人もいる。世界中にはいろいろな個性を持っている人がいる。同じ人間だけど、違う人なんだ。でも、その個性が珍しいってことだけで、バカにして、傷つける。そんな悲しい人たちもいるんだよ。同じ人間なのに、足が違うだけで逃げられたら、その人はどう思う?」
「悲しくなると思う」
係員さんの問いに僕はそう答えました。
その時、おじさんは泣いていました。僕も泣いていました。
「おじさん、ごめんなさい」
僕は思わず謝っていました。
「大丈夫だよ。ビックリさせちゃったね」
おじさんはそう答えてくれました。
係員さんも仕事に戻り、おじさんも帰ろうとした時、僕はおじさんに言いました。
「おじさん。僕もサッカーやっているんだ。将来、プロになって、有名になって、個性の違いで悲しんでいる人たちに、元気をあげられるような人になる。その時は、試合を見に来てよ」
「わかった。楽しみにしてるよ」
おじさんは、ニコッと笑ってくれました。
今、差別によって苦しむ人は数えられないほどいるだろう。それが「個性」だと認め合える社会にしなければならない。「個性」の違いに胸を張れる世の中にしなければならない。
プロ選手になれるかはわからないけど、おじさんとのもう一つの約束は絶対に守りたい。