高い技術力を持つ人材を育てたいのではない。「手を貸してほしい」と頼まれたときに「うん、いいよ」と言える若者を増やしたい。
とんかつ屋勝兵衛(苫小牧市日吉町)の取締役として働きながら2004年から新型コロナウイルスが流行する前までの約15年間、苫小牧高等商業学校で介護福祉教育アドバイザーを務めた。医療機関や福祉施設での実習の引率を担い、講師が足らないときには指導もサポート。介護福祉の現場を通し、生徒たちに自分は役に立つ人間なんだと伝えたい、一つでも胸を張れる経験を―と真摯(しんし)に職務と向き合ってきた。
「手伝うことも手伝わないことも介護で、どうすればいいのかを考えることが大事。想像力を働かせなければならない」。コロナ禍で学校を訪れる機会がなくなり、高校生との接点は減ってしまったが時々、教え子たちが実習先の高齢者や障害者に優しく寄り添っていた姿を思い出す。
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富良野市出身。青森県の短大を卒業後、空知管内栗山町にあった滝下小学校や諏訪市の城北小学校などに勤務し、1970年に養護学校教員の免許を取得した。道から養護学校教員就任の要請を受けて同年、苫小牧に転勤。社会福祉法人緑星の里へ派遣され約3年間、知的障害の子どもたちと触れ合った。そんな経歴が当時福祉学科を創りたいと考えていた苫高商の前嶋フク理事長の目に留まり、2004年、同校で開講したホームヘルパー3級講座のアドバイザーに就任した。
就任当初は、授業中にもかかわらず携帯電話の操作に熱中するなどし、話を真剣に聞いていない生徒も少なくなかったように思うが特に印象深い男子生徒が1人いる。正直、あまり関わりたくないと思うほど乱暴で態度も悪く、いったんは実習から外れてもらったが「どうしても参加したい」と茶色に染めていた髪の毛を靴墨で黒く塗って戻ってきた。「参加するには、黒髪でなければいけないと思ったのだろう」
驚くことにその男子生徒は、実習先の施設の高齢者にはとても丁寧だった。じっくりと高齢者に耳を傾ける姿は、学校で見せる様子とはまるで違った。高齢者らは皆、「あの子は優しい子だね」と口をそろえた。最初は「どこが」と思ったが身近で接してみると本当に優しかった。その生徒をはじめ苫高商の生徒たちは皆、分かったふりをしないところが良かった。
知ったかぶりをしていては、行き届いていない点に気付けない。素直で謙虚な心を持って、具体的に考えることが大事。
自分も高齢者となり、若い頃のように足や手を自由に動かせなくなったが当時施設にいた人の気持ちが分かるようになった。「今度は自分が当事者となって、生徒たちに教えに学校に行きたい」
人に会うことを喜ぼう。人を好きになる人が増えれば、人に手を貸す人もおのずと多くなるだろう。高齢化率が高くなり、担い手不足が減少する中、一人一人に優しい心を持ってほしい―と強く願う。
(樋口葵)