「今日は人数が少なくて演奏できないからこの曲はやめて別のにしよう」
この言葉は私が小学6年生の時に発言した言葉です。この言葉はとても悲しいことなんだ、そう気付くまでに1年もかかってしまいました。みなさんは伝統とは何だと思いますか。
私は小学3年生の時から、勇払千人太鼓の活動を行ってきました。新しい曲を覚えたり、お祭りにでたり、毎日の練習では時間が過ぎるのが早く感じます。発表が成功した時の達成感は忘れられず、とても楽しいです。
もちろん「つらい」と思う時もありました。小学生の時は帰りが遅くなると、宿題が終わらなくなったり、自分の好きなことができなくなったりして、太鼓をやめようと考えたこともありました。それでも太鼓を今まで続けることができたのは、ただ楽しいからだけではなく、太鼓が未来でも楽しくなれる物であってほしいという願いがあったからです。
勇中太鼓は、今から51年前「御会所太鼓」として始められ、苫小牧の伝承芸能としても活躍し、現在に至っています。
千人同心の開拓の功績や苦労を地域の方を中心に、何年も何代にも渡り、音として称え後世まで伝えられてきた素晴らしい伝統です。曲が終わり、たくさんの拍手をもらうあの瞬間は千人同心の気持ちをみんなに伝えることができたと実感できる大好きな瞬間です。
しかし、この太鼓の響きも続けることができなくなるかもしれません。このままでは勇払の大切な伝統が一つ失われてしまうかもしれない、と思ったのはあの発言をした1年後、今年初めての太鼓の練習のときでした。私が初めて太鼓をした時にはたくさんの人がいたのに、今、勇払中学校の生徒は私をふくめ四人です。
勇中太鼓に限らず日本には伝統やすぐれた技術がたくさんあります。例えば体を使った芸や踊り、楽器での演奏、細かな作業からできる職人の手業。地域に残っている祭りなども伝統です。これらは後継者がいないため、失われていくかもしれない問題があります。
動画で飴細工を行っている姿を見ました。金魚を作っているところです。使うのは専用のはさみと己の手のみ、一つの飴のかたまりから、あっという間に本物のような金魚ができあがっていました。すごい、と思うと同時に後継者がいなく失われていく伝統を想像し、悲しく、悔しく、絶対にこのようなことが起こってはならない、と強く願いました。
伝統とは、昔からの考えや芸術を様々な形で表現し、それだけでなく昔の人の意志を伝えて、継ぐということだと思います。
しかし、日本各地ではすぐれた技術や伝統がどんどん失われていっています。そのような状態を見直すべきではないでしょうか。みなさんも伝統を継ぐことは難しくても、守ることならできます。例えば、七夕や節分などを家族でやってみたり、調べてみたり、聞いたり、それも、伝統を継ぐことにつながります。
私はこの地域の伝統である勇中太鼓を途切れさせることのないように、ずっと太鼓を続けていこうと思います。
未来にこれまでつないできた意志を伝えるために。