2020年3月。誰にも会わないように家の近くの林を散歩していたら、白樺の枝に1羽の大きな茶色い鳥がとまっていた。ノスリというそうだ。ノスリは、キンと冷えた空気の中で、ただただ日差しを全身に受けてじっとしている。世界中がひっくり返って、誰もが得体のしれない感染症におびえて、手に入らないマスクを求めて右往左往している人間達の頭上で、ノスリは平和にのんびりと陽の光を浴びている。
小学校の卒業式を目前に、急に学校が臨時休校になった。長い長い休みになった。まるでフィクション映画か何かみたいだった。現実離れしていて何が起きているのかよくわからなかった。家から出ることを禁じられ、友達にも会えなくなった。卒業式はなんとかやることになった。しかし、在校生に見送られることもなく、時間も制限されて、別れを惜しむ間もなかった。中学校に入学したけれど、新しい友達ができる前に、すぐにまた学校が休校になった。友達ができないまま1人で家にいた日々は、孤独だった。これまでちっとも考えたこともなかった。平和で安泰な世界は、こんなに簡単にひっくり返ってしまうのだと思った。
それから1年半が経ち、私は14歳になった。今もまだ世界は混沌(こんとん)としている。新しい生活様式だと言って、皆がマスクをして、一日に何度も手を消毒して、ソーシャルディスタンスを保っている。1年延期されたオリンピックは無観客で開催された。苫小牧を走るはずだった聖火は来なかった。みんな家に引きこもって、なんだかイラついてトゲトゲしいニュースやSNSばっかり眺めて、イライラが広がっているように感じる。
でも、こんな暗い世の中にも良い変化がある。コミュニケーションのオンライン化がびっくりするほど急速に進んだことは、コロナの恩恵だ。コミュニケーションのスタイルが変わってきた。それに伴って、オンライン授業という、学習の選択肢が増えたのはなかなか画期的だ。これはきっと変化の始まりにすぎないのだろう。長引くコロナ禍の影響は、まだまだ世界を変えていくに違いない。
「だめなことの一切を、時代のせいにはするな」。茨木のり子さんの詩の一節が、ぐさりと私の心に刺さる。さあ。14歳の私は今この目まぐるしく変わりゆく時代を、どうやって生き延びていこう?
「自分の感受性くらい自分で守れ、ばかものよ」。厳しい言葉が私の背筋をすっと伸ばす。変わる世界にオロオロとワケもわからず流されていていいのか? 14歳の私! どんな未曽有の出来事が起きようと、どんなに世界が変わろうと、どうしようもないとか、子どもだからとか、よくわからないからとか言ってないで、私のアンテナをしっかり立てるのだ、14歳の私! コロナで世界が変わるなら、私は私のアンテナで世界を捉えて、チャンスを見つけて、新しい世界に飛び立つのだ。「あの日悠々と陽射しを受けていたノスリのように」と私の感受性は言っている。どんなに世界が揺さぶられても、14歳の私は、揺るがずにいよう。しっかり世の中を見ていよう。
私が大切にしたいのは、勉強したり部活に行ったり、友達と遊んだりする日常だ。家族とその日の出来事を話しながら夕飯を食べたりする平凡な日々だ。私は平凡な日々を過ごしながら、未来を夢みるのだ。そして、見つけた未来へ飛び立つのだ。ギスギスしたSNSに引き込まれている暇なんてない。
小さな苫小牧に住む14歳の私が、遠く離れた外国の素晴らしい著名人から直接学ぶチャンスがくるのも、きっともうすぐだ。世界がどう変わっていくのか、私には予想もつかない。でもひょっとしたらこのコロナという世界共通の大問題は、数十年後か数百年後に世界共和国ができるきっかけになりうるのかもしれない。そんなことを思い浮かべて、14歳の私はちょっとワクワクしたりもする。あの日のノスリは、今どこの大空を飛んでいるのだろう。
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第45回苫小牧市中学生主張発表大会(市教育委員会主催、市中学校長会共催、12月4日、市文化交流センター)で、市内の中学校15校の代表生徒がそれぞれの思いを発表した。最優秀賞、優秀賞、優良賞、努力賞に選ばれた作品を紹介する。