胆振東部地震から3年を迎えた9月6日、厚真町吉野の献花台で取材した。掛け替えのない多くの命が奪われた地から遺族らの思いを伝えることで、一人一人の命の重さを記録に残し、読者に地震の怖さを知ってもらうため。自ら志願したが、迷いもあった。
メディアスクラムの弊害が指摘されて久しい。重大な事件や事故があるたび、多くの取材関係者が押し寄せ、深い悲しみから癒やされていない人たちに、心理的なさらなる苦痛や負担を与える。同6日の献花台周辺には報道関係者ら30人以上が集まっていた。
献花台の脇に記者やカメラマンが一団となり、無遠慮にカメラのレンズを向ける。訪れた人からコメントを取ろうと試み、相手がひとたび口を開こうものなら、どっと取り囲んで矢継ぎ早に質問する。取材に応じてもいいと思う人の方が少ないだろう。
自分もその中の一人に違いないが、できる範囲で工夫をしてみた。献花台は同4日から設置されており、聞き取り取材は同5日までに済ませた。取材した時間帯のほとんどが他社の記者と2人だけ。慰霊を終えるまで献花台から離れるよう心掛けた。
多くの方に取材の協力を頂いた中、何人かに取材を受けた理由を聞いた。答えは「亡くなった人のことをしっかり書いてくれるなら」「話すことで楽になる部分もある」などまちまちだったが、静かにゆっくり話ができる環境が前提にあることは間違いない。
写真は「6日」に撮る必要があるため、訪れた人がカメラの砲列にさらされるよりも先に声掛けし、許可を得られた人に限定したが、いずれも最低限の配慮にすぎない。今後も遺族取材をしないという選択肢はないだけに、その在り方は考え続けたい。
(金子勝俊)