桜木町町内会長 三澤 伸吉さん(69) チャレンジ精神持って 大切な下川町との絆 元気なまちへ住民に寄り添い活動 立ち直り支援 共に頑張る気持ちで

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年12月18日
町内会で使う資料をまとめる三澤さん
町内会で使う資料をまとめる三澤さん
三澤組で大工の棟梁だった祖父(前列左から3人目)らと(前列右端が三澤さん)=1964年
三澤組で大工の棟梁だった祖父(前列左から3人目)らと(前列右端が三澤さん)=1964年
下川町建設課時代の職員らと(中央が三澤さん)=1979年4月ごろ
下川町建設課時代の職員らと(中央が三澤さん)=1979年4月ごろ
ALTを指導する三澤さん(右)=1993年9月ごろ
ALTを指導する三澤さん(右)=1993年9月ごろ
ソチ五輪会場で葛西紀明選手と=2014年2月
ソチ五輪会場で葛西紀明選手と=2014年2月

  苫小牧市の桜木町町内会会長を務める三澤伸吉さん(69)は「多くの人に生かされていることを忘れず、チャレンジ精神を持ち、町内会のために尽力する」と笑顔で語る。

   1952(昭和27)年に名寄市麻生町で生まれ、父が働く帝国繊維名寄工場の社宅で育った。保育所の窓ガラスを割って逃げ出すほど元気いっぱいで、周囲からいつも「わんぱく坊主」と呼ばれた。幼少期から体を動かすことが好きだった三澤さんは、広い工場敷地内を縦横無尽に走り回り、鍛えられた足腰を武器に小中高と野球に明け暮れる日々。70年夏の高校野球選手権北北海道大会には名寄高校の正二塁手で出場し、強豪校を破って準優勝に輝いた。

   71年に同高校建築科を卒業後、父親の勧めもあって上川管内下川町役場に建築技術職として入庁し、設計・積算業務に従事。町職員海外派遣研修制度の第1号に選出され、ホストファミリーとしてALT(外国語指導助手)を受け入れるなど、さまざまな分野で活躍した。苫小牧市へ移住するきっかけにもなった妻の八寿子さんとの縁や、現在も趣味でのめり込む「スキージャンプの魅力」にも出合った。

   下川町出身のジャンプのレジェンド葛西紀明さんや伊藤有希さん、伊東大貴さんら日本を代表する選手との絆も深く、2014年の冬季ソチ五輪は現地で応援。会場では「おじさーん」と選手らが駆け寄ってきた。「幼少期から知っている子たちが世界で活躍する姿を見ると、力をもらえるしうれしい」と目尻を下げる。

   同年に苫小牧市に移り住み、苫小牧地区保護司に委嘱された。以来8年、犯罪や非行をした人の立ち直りの支援を続けている。さまざまな家庭環境を抱えた子たちが、結婚や赤ちゃんが生まれたと報告に来てくれたとき、「更生したな。やっていてよかった」とやりがいを感じる。「これからも『一緒に頑張ろう』という気持ちで支えていきたい」と優しく語る。

   国内では想定外の災害も相次ぐ。東日本大震災を経験した人から「向こう三軒両隣、普段からの見守りや声掛けが生かされ、大難を防ぐことができた」という話を聞いた。この言葉を頭に、安心安全で発展し続ける町内会づくりに励む。市役所や市社会福祉協議会と連携し、桜木町高齢者支援推進委員会メンバーで結成した「除雪隊」も活動をスタートさせた。住民に寄り添う身近な活動にも力を入れたいという。

   苫小牧、札幌、旭川、東京に住む下川町出身者らで構成する「下川会」。会長不在で休会中の苫小牧支部再開に向け、動きを活発化させている。「下川町と苫小牧のつながりの場を設け、互いにまちの元気につなげたい」と意気込んだ。

  (小笠原皓大)

  三澤 伸吉(みさわ・のぶよし) 1952(昭和27)年9月、名寄市生まれ。小樽桜陽高校で野球部監督を務める長男直人さんの甲子園出場を、子どもや孫たちと一緒に夢見て過ごす親子3代の野球一家。2019年には憧れの王貞治さんとの出会いも果たした。苫小牧市桜木町在住。

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