監督を務めてきた勤務先の軟式野球チーム「日本通運苫小牧」が今年限りで休部する。約70年の歴史が途絶え、今後は審判員として野球に携わるつもりだ。
1964(昭和39)年に日高町で生まれた。71年に苫小牧市に移住し、若草小に入学。高学年になると少年野球の船見バッファローズとアイスホッケーの若草小同好会に入団した。「当時はどっちもやるのが主流だった」と話す。
和光中に進学し、「苫小牧はホッケーのまちだから」とアイスホッケー一本に絞って打ち込んだ。ポジションはFW。小学、中学各年代で苫小牧選抜に選ばれるほどの実力だった。苫小牧南高時代も全国大会に出場するなど活躍。「道外に出て試合をすることも多く、今でも思い出に残っている」と懐かしむ。
同高卒業後は強豪の実業団チームだった西武鉄道に入団したが、足首のけがの影響で1シーズンを過ごすことなく退団した。日本通運苫小牧支店に入社後は、職場のチームに加入し、35歳までプレーした。
野球を再開したのは30代に入ってからだった。同支店に勤務する運転手によって結成された日通トラッカーズ(当時)で捕手を任された。「配球や守備位置の指示だけでなく、声を出してチームを鼓舞するのがキャッチャーの仕事。考えることは多いけどやりがいがあった」と振り返る。
97年にトラッカーズを含む同支店3チームが統合する形で日本通運苫小牧が発足。市内の朝野球大会などに出場するなど精力的に活動してきたが、高齢化などを理由に今月末で休部となる。
今年10月に苫小牧で開かれた北海道ベースボールショップ軟式野球大会が最後の大会となった。準優勝し、選手兼監督として胴上げされた。「本当に終わるんだ」。宙に舞う中でチームの終幕を実感した。
「ワンプレーだけでもメンバー全員の意思が一致しないと成功しない。チームスポーツとしての奥深さがある」。魅力が尽きない野球とは、生涯関わっていこうと考えている。
2010年ごろから始めた審判が今後の活動の軸となる。現在は北海道軟式野球連盟苫小牧支部審判部の事業副部長を務める。「自分の時間を割かなければならないため大変ではあるけど、選手とは別の角度から野球を楽しめる。審判の仲間が増えていってほしい」と願っている。
昨年のプロ野球ドラフト会議では、東胆振ゆかりの選手4人が指名を受けてプロの舞台に羽ばたいた。「自分がジャッジした選手がプロになっていくのは楽しみ。今までとは違った立場で野球を支えていきたい」と新たな道を歩きだす。
(石井翔太)
伊藤裕文(いとう・ひろふみ) 1964(昭和39)年9月、日高町生まれ。苫小牧若草小、和光中、南高時代はアイスホッケーでも実力を発揮。日本通運苫小牧支店の自動車課勤務。軟式野球の日本通運苫小牧で捕手として活躍したほか、選手兼監督として指揮した。苫小牧市柏木町在住。