(4) 中学生の部・最優秀賞 ありがとうの恩返しを 苫小牧緑陵中1年 河毛(かわけ) 優芽(ゆめ) さん

  • 夏休み読書感想文コンクール, 特集
  • 2021年11月10日

  私にもいつか誰かを介護する時が来るのか。介護する人はどんな気持ちだろう。この本を読みながらそんなことを考えた。

   主人公の麦菜のおばあちゃんは介護を必要とする人だ。お母さんや麦菜が何でもやってあげないといけない。私がもし麦菜のように家族の誰かを介護しないといけなくなったらしっかりできるだろうか。きっとできない。いくら家族でもお風呂に入れたり、ご飯を食べさせたりするのは汚いイメージがある。笑顔で優しくなんてできるわけがない。

   ある日チャキが学校に赤ちゃんを連れてきた。赤ちゃんはかわいいけど大変だと言っていた。私は赤ちゃんのお世話というとご飯を食べさせたり、お散歩をしたりとかわいい場面を思いうかべる。でも実際には夜泣きやおむつ交かんなど大変な仕事の方が多いのかもしれない。赤ちゃんのお世話は介護と似ている。でも赤ちゃんはすぐに成長していくけど介護はずっとやってもよくなるとは限らない。介護は回復を期待してするわけではないのだ。それでも続けるのはやっぱりその人を好きだからだろうか。

   麦菜は授業で世の中には介護保険制度があることを知った。私も麦菜と同じようにこれを使ったら楽になると思うし、いいなと思った。でも麦菜のお母さんはできるだけ家族でやりたいと言っていた。数年前私のおばあちゃんはひいおばあちゃんを施設に入れるのを迷っていた時があった。最初は何でかわからなかった。麦菜と同じく介護している人が倒れるかもしれないと思ったし、介護専門の人にやってもらう方が家族にとっても本人にとっても良いことなのにと思った。

   ある日麦菜はおばあちゃんにお金をぬすんだと思われた。どうしておばあちゃんは麦菜がぬすんだと思ったのだろう。信用していた孫だったはずなのに。けれども介護される人は自分でできることが少ない分、信用できる人じゃないと介護してほしくないと思うのは当たり前だ。だから麦菜のとった少しの嫌そうな態度でも気になったのかもしれない。介護する人とされる人との信頼関係が必要だなと思った。

   私は読み進めていくうちに麦菜のお母さんが介護保険を申請しなかったり、私のおばあちゃんがひいおばあちゃんを施設に入れるのを迷っていたりした理由がわかった気がした。施設に入れるということは介護している人の負担が減ると思うし良いことだろう。でも家族としての気持ちはどうなのだろう。他人にやってもらうよりも自分たちがやった方が大変でもいいと思うかもしれない。離れることへの不安があると思う。ましてや、本人が施設に入りたいと思っていなかったら簡単に決められるわけがない。実際に私のひいおばあちゃんは家が大好きで家族が大好きだった。毎年親せきが集まることを誰よりも楽しみにしていた。だからこそおばあちゃんは施設に入れるのが良いことなのか涙を流して悩んでいたのだと思う。家族のことを好きだからこそどうすることがその人にとっていいことなのかを考えるのが難しかったのだと思う。

   おばあちゃんが倒れた時麦菜はおばあちゃんの本当の気持ちに気づいた。介護される人が何かを失敗することはよくある。でも失敗するのはわざとではない。おばあちゃんも自分でできないことが悔しかったのだ。ご飯を食べさせることに嫌だなと思った私と、自分で食べたいのにできなくて悔しくて嫌だなと思っている人がいる。この「嫌だな」は全く違う意味だ。介護される人は自分でできるという自信を持ちたいはずだし、できなくて一番嫌なのは周りの人よりもきっとその人自身なのだろう。今までできていたことが、できなくなっていく悲しみは、私の想像を超えるものだと思う。麦菜のおばあちゃんがおしりをふけなくてごめんと言った。迷惑だと思ったからだろうか。お金をはらっている施設の人ではなく家族だからなのかもしれない。でもそれは違うと思う。自分でできなくて家族にやってもらうことは悪いことじゃない。本当は自分でやりたいはずだ。ごめんなんていう必要はないと思う。だからごめんねではなくありがとうでいい。介護が嫌だなと思っていた自分は相手の気持ちを全く考えていなかった。

   介護している人はきっとその人に対して愛があるのだと思う。どんなに大変でもやり続けるのはきっとその人を好きだからだろう。家族への介護は恩返しのようなことからできていくと思う。昔の思い出がたくさんあればあるほど頑張ろうと思えるのだ。いつしか私も麦菜と同じく介護は「汚い」よりもたくさんの「恩返し」だと思い始めた。そして私が介護をするようになったらおたがいが笑えるような介護をしたい。ありがとうの恩返しをしていきたい。

  (終わり)

過去30日間の紙面が閲覧可能です。