BMXには1日20人以上の医療スタッフが従事した。主に関東、関西圏から20~70代の医師、看護師、理学療法士、柔道整復師、アスレチックトレーナーなどさまざまな職種の人たちが集結。一期一会の記念にと、毎日集合写真を会場内で撮るのが恒例行事になった。
勤務先の白老町から作業療法士として東京五輪に派遣され、全日程に携わることができた私はまれな方。勤務先の許可がなかなか下りず有給休暇を使って2~3日、わずか半日のみの従事者も多かった。
57年ぶりに国内開催された夏季五輪を無事に成功させたいとの思いは同じ。持ち場をただ全うするだけではなく、空いた時間に用具確認、救護動作に関するスタッフ間の積極的な意見交換など意識の高さに目を見張った。
千葉県内で新型コロナの指定医療機関で働きながら医療スタッフとして参加した女性看護師は、万一の際に感染症を家族にうつさないため、自宅には帰らずホテル暮らしを続けた時期があったそう。サッカーのJリーグやプロ野球界で働く医師や理学療法士との交流も刺激になった。
医療スタッフを日々陰で支えてくれた存在もいた。五輪・パラリンピック組織委員会の事務職員さん。医務室に常駐したのは開業医の男性と、看護師資格を持った女性。私たちは親しみを込めて「お兄さん」「お母さん」と呼んでいた。
救護業務に必要な物資調達や補充などを一手に引き受ける。私たちが集合する前には会場入りし、日付をまたぐころに仕事を終える大変な立場にありながら、スタッフたちの心のよりどころになってくれた。
時には人命を救った。ある日の夕方、医療スタッフ全員が業務を終え会場から去った直後に大会関係者が心停止を起こし倒れた。すぐさまお母さんたちが駆け付け自動体外式除細動器(AED)で蘇生させた。
別れの際、「楽しく終われたのは皆さんのおかげです」とうれしい言葉を掛けてもらった。2人はその後、9月5日まで行われたパラリンピックにも従事。本当にお疲れさまでした。