「負けるけんかはするな。人にだまされても人はだますな。これが人生の教訓」と語るのは岸邦俊さん(82)。研究者や商売人、経営者とさまざまな職種を経験し、自身の半生を「波瀾(はらん)万丈。損得勘定よりも自分のやりたいことを徹底してきた」と振り返る。
1939年、6人兄弟の4男として岡山県津山市で誕生。福澤諭吉の門下生忠佐久さんを祖父に持ち、京都帝国大学卒の父親、教育ママのはしりだという母親の元に生まれた。小学1年生から書道、絵画教室に通い、4年次には洋画家の福島金一郎氏から油絵を学んだ。中学1年次には岡山県展で金賞を受賞した。
岡山県立津山高校を卒業後、東京理科大学化学科へ進学。その後、当時の東京大学応用微生物研究所(現分子細胞生物学研究所)に在籍し、25歳で接着剤「ボンド」で知られるコニシ(本社大阪市)に研究者として入社。接着剤やパテの開発に明け暮れた。
26歳で応用微生物研究所に勤務していた菊江さん(79)と結婚。翌年、会社から東京工業大学天然物化学研究施設へ研究生として派遣され、3年間研究に没頭した後、会社に戻った。
紫外線のある一定の波長を照射すると透明な液体が瞬間的に固化ガラス状になる「感光性樹脂」の開発に取り組み、特許申請を目指したが、会社の上司と対立し32歳で退社。菊江さんの実家のある桧山管内せたな町へ移り住んだ。
「苫小牧」の地名を聞いたのは、町内で建材、金物を扱う菊江さんの親戚から。「重化学工業都市を目指し、数年後には35万都市になると言われている。発展途上の苫小牧で金物店をやってみないか」と持ち掛けられた。「食べていくためには何でもやる」と苫小牧市へ移住。1973年12月、柏木町で建築・土木・左官資材総合商社「岸金物」を起業した。「周りには何もなかった」
10年後に法人化。市内や近隣地域のさまざまな建物、高速道路、トンネルに資材を提供した。「公営住宅などには数百台単位の浴槽、流し台を納入した」と懐かしむ。商売や経営の知識は皆無だったが、「困ることは何もなかった。建材に接着剤は欠かせない。やる以上は負けるなという信念で突き進んだ」と語る。
しかし、大型店の進出が激しい時代に突入。後継者の適任がいなかったこともあり、「ずっと黒字だったが、この機を逃したら赤字に転落するかもしれない」と時を読み、廃業を決断した。3カ月後の2008年12月、35年続いた金物店を閉じた。
のぞみ町に転居し、現在は油絵やゴルフ、園芸などの趣味を楽しむ毎日。最近は微生物を利用した土壌作りにはまっている。今一番欲しいものは「時間」とほほ笑む。(樋口葵)
岸 邦俊(きし・くにとし) 1939(昭和14)年5月、岡山県津山市生まれ。元フランス政府公認ミレー友好協会日本支局正会員で、94年6月にルーブル美術館に油絵が出展された経歴を持つ。自然を描くことが好き。菊江さんとの間に3人の娘がいる。苫小牧市のぞみ町在住。