東京五輪医療スタッフ体験記~元自転車競技選手・木賊弘明さん(1)五輪参加の夢形を変え実現

東京五輪に医療スタッフの一員として参加した木賊さん
東京五輪に医療スタッフの一員として参加した木賊さん
木賊弘明さん
木賊弘明さん

  東京五輪の医療スタッフを志したきっかけは、2014年の国民体育大会(長崎県)自転車競技で北海道代表として共に戦った医師からの誘いだった。作業療法士の資格を持ち、当時は苫小牧市内の病院に勤務していた自身の経歴を踏まえ「力を貸してほしい」と声を掛けられた。

   五輪出場は選手時代からの夢。学生時代には地元北見市のフリーペーパーで「アテネ(04年)の星」と題した取材を受けたこともあったが、競技者としての出場はかなわなかった。仕事を生かしながら五輪に参加できるチャンスがあると知り「逃したくない」と決意した。

   19年10月に都内で行われたテスト大会参加を経て、翌年2月に東京五輪・パラリンピック組織委員会から自転車競技BMXの2種目で医療スタッフ採用通知が来た。ただ、間もなく新型コロナウイルスの影響で五輪の1年延期が決定。スタッフ研修、テスト大会なども軒並み中止や延期になった。

   最初は参加を喜んでくれた妻や2人の子供たちは、次第に消極的な心境に変わった。「オリンピックはやるべきじゃない」。五輪開催に否定的な報道を連日見聞きする中で、小学6年生の長男がぽつり。私自身も感染症下で実施するべきか罪悪感に似た気持ちになりながら、五輪舞台に立ちたい思いは強くあった。

   開催時期が近づくにつれて家族間で話し合う機会が増えた。最終的に「パパが行くなら」と五輪開催や参加に理解を示してくれた家族には、たくさん気を使わせてしまった。

   今年5月に2度目のテスト大会(東京)に参加した。自費でPCR検査の実施や帰道後1週間のホテル滞在。職場復帰はさらに1週間後と細心の注意を払った。ワクチン接種は組織委員会の配慮もあって都内で受けることはできたが、交通費は自己負担だった。

   「いってらっしゃい。楽しんできて」―。家族に見送られながら7月24日早朝、東京に向け出発。羽田空港内でのPCR検査で陰性を確認してから、BMX会場の有明アーバンスポーツパーク(江東区)でIDカードなどを受け取った。

   不用意な外出を避けるため、滞在する8月2日までの食料を買い込み組織委員会指定のホテルにチェックイン。胸の高鳴りを抑えながら、翌日からの始動に向け眠りに就いた。

   苫小牧市在住で元自転車競技選手の木賊(とくさ)弘明さん(41)=白老町職員=が、7月21日~8月8日に行われた東京五輪に医療スタッフの一員として参加した。作業療法士の資格を生かし、自転車競技BMX2種目の選手救護に従事。57年ぶりに開かれた同五輪でのさまざまな体験を振り返ってもらった。計9回。

 ―プロフィル

  1980年、北見市生まれ。同郷の元アマチュア王者中村真司氏の影響で高校から自転車競技に励み、3年時に全国高校総体出場。札幌学院大3年の時には全日本学生選手権1キロタイムトライアルで3位入賞を果たした。

   苫小牧市内での就職を機に一度競技と距離を置いたが、33歳で復帰すると2014年から6年連続で国民体育大会に出場。通算10回目の挑戦となった19年茨城国体を最後に引退した。作業療法士の資格を持ち、現在は白老町の子ども発達支援センターで勤務している。

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