「助けていただいた多くの方に、おいしいお米を食べてもらいたい」―。厚真町幌内の稲作農家、末政知和さん(28)は意気込む。今年から親戚の水田6・5ヘクタールを借りて「ななつぼし」の作付けを始めた。2018年9月の胆振東部地震で田んぼが被災し、昨年までアルバイト暮らしだった。黄金色に輝く稲穂に目をやり「ここで何とか米作りが続けられる」と手応えをつかむ。
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厚真、安平、むかわ3町がまとめた農業関連被害によると、地震で農家や施設計1580件が被災し、被害額は計175億3900万円。中でも震度7を観測した厚真町は、田んぼや畑への土砂流入などで約155・3ヘクタール、農業用施設69カ所が被災した。主要品目の米は地震翌年、約120ヘクタールが作付けできない状態。亡くなった世帯を含む4戸が地震を機に離農した。
末政さんは18年に祖父清さん(87)から水田の経営を移譲された。地元の厚真高校を卒業後、苫小牧市内の民間企業に就職したが、早くに父を亡くしたため後継者と目されていた。「祖父から宝物のように大事にされてきた。自分なりに『やらないと』と思った」と就農を決意し、初めての収穫を迎えるはずだった水田を、地震が襲った。
納屋や育苗ハウス、農業機械が土砂で埋まったが、地震直後は消防団員として人命救助に奔走した。被害状況を確認したのは地震から数日後で「田んぼを見るたびに涙が出た」。水田約5・4ヘクタールの一部は稲穂が残っていたため、刈り取ってみたものの収穫は断念し、そのまま田んぼに廃棄。むなしさがこみ上げたが、離農は選択肢にはなかった。
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友人や先輩らの物心両面の支え、祖父をはじめとする周囲の期待。「やめるのは申し訳ない」と気持ちを奮い立たせた。国の支援金を活用し、納屋や農業機械を新調。しかし、水田は土砂の仮置き場になり、19、20年は作付けできず「周りはどんどん復興しているのに、自分はバイトしかできない。取り残されて精神的に参った」と振り返る。
今年は親戚の田んぼで基盤整備が終わり、その一角を借りた。まっさらな田んぼは地盤が固く、代かき前に2回起こすなど苦労したが、「田んぼをしょっちゅう見に行くようになった」と笑顔。田んぼは違えど、3年越しで「自分の米」が順調に育ち、「まずお世話になった人に食べてもらう」と目を細める。
新型コロナウイルス感染拡大により、米の取引価格にも影響が出る昨今。東京五輪で「被災者代表」として聖火ランナーを務める予定だったが、それもコロナ禍で中止に。実家の田んぼが使えるようになるのは23年の予定と復興は道半ばだ。心が折れそうにもなるが「お米を通して厚真の頑張り、復興を伝えていく」と誓う。
厚真は東胆振の米どころ。復活を国や北海道、町が後押しし、最大で被害総額の9割ほどを援助している。「数年かかる」と言われた農地を覆った土砂の大部分を撤去し、営農再開に伴う掛かり増し経費を支援。多くの世帯が営農再開にこぎ着けている。