(1) 遺族の思い 「厚い真心」に救われた 復興、発展願い歩み続ける

  • 特集, 胆振東部地震から3年~厚真の未来へ~
  • 2021年8月30日
「ふと実家のあった富里に行きたくなる」と語る中村さん

  「早いですね」―。2018年9月6日の胆振東部地震で、両親と祖母の3人を亡くした厚真町職員の中村真吾さん(45)は今の心境を率直に語った。昨年までは産業経済課に、今年1月から教育委員会に所属。担当する業務が山ほどあり、「立ち止まっていなかったから逆に良かった」。厚真町の復興、発展を願いながら歩んでいる。

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   胆振東部地震で最も大きな被害を受けた厚真町。山林の土砂は崩れ、多くの家屋を押しつぶし、災害関連死を含め、37人が犠牲になった。中村さんの実家があった富里地区は被害が甚大で、父の初雄さん(当時67)と母の百合子さん(同65)、祖母の君子さん(同94)が帰らぬ人となった。

   中村さんはもちろん家族にとって、実家は「最高の場所」だった。犬がいて、家庭菜園があって、夏にはバーベキューを楽しんだり、山登りをしたり。家族で毎月のように足を運び、「ふれあい動物園とか収穫体験。全て実家でできた」と振り返る。

   夏には採れたての野菜が自宅に送られるなど、「わがままを言えば何でも出てきた」。一方で初雄さん、百合子さん2人で旅行を楽しむ機会が増えていたといい「老後を楽しんでいた。これから第二の人生だったのだろう」と感じていた。

   ところが実家は地震で土砂にのまれた。中村さんも、子どもたちも、ショックを受けた。「ゆりちゃん(百合子さん)の作ったトマトが食べたい」「今ごろ富里に行ってたよね」。そんな会話をする子どもたち以上に中村さん自身の涙が止まらず「『お父さん、もう泣かないで』って言われて」と思い返す。

   地震後も月に数回、実家があった場所を訪れる。今年の年明けにはまっさらな雪原で、子どもたちが楽しそうに遊んだ。今夏は緑肥の一環でヒマワリの花が咲いていた。なじみある思い出の詰まった場所に「何か行きたくなる」と突き動かされてきた。

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   込み上げ続ける寂しさから救ってくれたのは、家族や同僚の支えをはじめ、「3人が築き上げてきた人間関係」だった。震災後は多くの人に声を掛けられるようになり、「(亡くなった3人の)友達や知り合いがよく思い出話をしてくれる」と感謝する。

   話を聞くたびに「『これだけ厚真でいろんな人と親交を深めていたんだ』って思うと、息子としてものすごくうれしい。自分を奮い立たせるきっかけになった」と胸を張れるようになった。厚真ならではの厚い真心の人たちに囲まれている実感に「だから、今でも厚真にいる」と強調する。

   町職員として、昨年までは地元経済の活性化などに力を入れ、新型コロナウイルス感染対策にも奔走。年明けから未来を担う子どもたちのため高校の魅力化推進、学校の教育環境整備などを担当している。「日々の生活に追われてあっという間だった」としみじみ感じながら「厚真を『地震のまち』で終わらせたくない」と決意を新たにする。

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   胆振東部地震から間もなく3年。甚大な被害を受けた厚真町で復興に歩む人たちを中心に、安平、むかわを含めた胆振東部3町の現状や課題を取り上げる。

  (5回連載)

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