6 石沢矜子さん(苫小牧市日吉町、88)空襲で父が命の危機に、何が正しいか自身で考えて

  • 戦後76年企画 記憶を受け継ぐ, 特集
  • 2021年8月14日
幼少期のアルバムを見ながら戦争体験を振り返る石沢さん
幼少期のアルバムを見ながら戦争体験を振り返る石沢さん

  「あの時ほど泣いたことはない」。

   戦時中、苫小牧町(現苫小牧市)緑町に住んでいた石沢矜子さん(88)=日吉町=は、76年前の夏に味わった恐怖を思い出し、声を震わせた。

   終戦間際の1945(昭和20)年7月14日。苫小牧の市街地は、米軍の艦載機グラマンによる機銃や焼夷(しょうい)弾の攻撃を受けた。標的の一つとなったのが、石沢さんの父が勤めていた王子製紙苫小牧工場だった。

   「父さんが死んじゃったらどうしよう!」。どうすることもできず、泣きながら玄関を出たり入ったりした。攻撃がやんで数時間後、全身おがくずまみれになった父が帰宅。「幽霊じゃないよね?」。われを忘れて飛びつくと、父はおがくずが付いた手で涙を拭ってくれた。

   「戦争は怖いと初めて痛感した出来事だった。あんな思いはもう誰にもさせたくない」と話す。

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   3人きょうだいの長女。生まれ育った苫小牧にも戦争の影は確実に忍び寄り、ついに米軍の攻撃にさらされた。

   その日は折しも樽前山神社例大祭だった。いつものように父が仕事を終えて帰ってくるのを母と祖母と待っていると、「ドーン」という地響きを感じた。突然の敵襲に近所の人たちは一斉に山へ向かって逃げていくが、家に寝たきりの祖母がいるため、母は「おばあちゃんを置いて逃げることはできない」と家にとどまることを決めた。

   その時、外で誰かが叫ぶのが聞こえた。「王子が狙われているぞ!」。その瞬間、全身の血の気が引いた。

   「父さん!」。父の身を案じるも、泣きながらおろおろするしかなかった。祖母は「あんなにいい父さんが連れていかれるはずない」と励ましてくれ、「ナンマンダブ」と唱え続けた。

   数時間後、片方の靴が脱げ、おがくずまみれの父が帰ってきた。聞くと、王子製紙苫小牧工場のおがくずを保管していた建物が被弾してそれがあふれ出て、近くにいた父は頭の先まで生き埋めになったという。窒息する寸前だったが少しずつ体を揺すると首が上に出て、一命を取り留めることができたという。

   「もうだめだと諦めかけたけど、矜子が泣いているだろうから頑張ろうと思った」。静かに話す父の言葉を聞き、自分のために生きようとしてくれたことへの感謝で胸がいっぱいになった。

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   戦争中は理不尽に感じる場面にたびたび遭遇した。学校で勉強する時間は、敵軍の戦車を足止めするための穴を砂浜に掘る作業の時間に変わった。何も悪いことをしていない若い兵士が並べられ、端から順に上官に殴られるのを見た。フィリピンで戦死した近所のお兄さんの骨箱には、石しか入っていなかった。正しいことが書かれていたはずの教科書は、終戦と同時に黒く塗りつぶされた。

   正義の在り方が時代によって変わるのを目の当たりにしたことで、何が正しいかを自分自身で考えることの大切さを知った。

   「今は何でもすぐに調べられる便利な時代になったけど、自分で考えることが少なくなっている」と感じる。時代に流されて戦争に突入することを繰り返さないため、若い人には考えることを大切にしてもらいたいと願っている。

  (おわり)

   ※この企画は報道部・姉歯百合子、半澤孝平、樋口葵が担当しました。

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