2 苫小牧市春日町 岸三重子さん(85)”不気味”きのこ雲目撃、原爆は人生も壊す

  • 戦後76年企画 記憶を受け継ぐ, 特集
  • 2021年8月10日
広島県の山村から原爆のきのこ雲を眺めた経験を語る岸さん

  9歳だった夏の朝。祖母宅の縁側に座って休んでいると、遠くに南へ進む飛行機が見えた。「ピカッ」と激しく光ったかと思うと、家ごと大きく揺れた。地震だと思った。揺れが収まり、ふと空を見上げると南の空に見たこともないきのこ雲が立ち上っていた。原子爆弾が広島の市街地に落ちたと知ったのは、それからかなり後になってからだ。

   大阪で楽器店を営んでいた父・伊藤一夫さんは戦争が始まると店じまいし、4人きょうだいの長女だった岸三重子さん(85)=苫小牧市春日町=は、父方の祖母が暮らす広島県高田郡北村(現・安芸高田市)に預けられ、幼少期を過ごした。

   両親は、母の実家がある岡山県笠岡市にいた。当時、母の病気が思わしくなく、療養のため一夫さんはそちらに付きっきりで岸さんは「(子ども時代の)親との思い出はほとんどないんです」と話す。近所の農家まで出掛けて行って草取りや田植え、農作物の収穫を手伝う毎日。「山盛りいっぱいのご飯が楽しみでした」。わらじを履いて学校に通ったが、まともに勉強した記憶はない。

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   広島に原爆が落ちた8月6日は、久しぶりに祖母宅を訪ねてきた父が笠岡に帰るため、早朝に出て行った。「父は原爆が落ちる直前、電車で広島をたっていました。出発が早かったので助かったんです」。9歳の女の子が目にしたきのこ雲は、ただ不気味で、何が起きたかは分からなかった。祖母は「大きな爆弾が落ちたらしい」と言った。

   程なくして被爆したいとこが、祖母の家に連れられてきた。「20歳くらいの女性でした。全身に大やけどを負っていて『痛いだろうな、かわいそうだな』と思っても見守るしかできませんでした」。祖母が介抱し、いとこの体に天花粉やひまし油を塗った。「体から何かの露が落ち、うじがたかるのを取ってやっていました。心が悲しみや怖さにあふれていました」。父から「広島は死体の山だ」と聞いて、震え上がった。やがて戦争は終わったが、11歳になって訪れた広島は一面焼け野原。都会だった面影はなかった。「戦争は愚かだ。ひどい仕打ちをする」。声を上げて泣いた。

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   その後、いとこの女性は、働けるまでに回復したが、5年ほどして自殺してしまった。体が思うように動かないことを苦にしていたと聞いた。「原爆は、落ちた後もたくさんの人生を壊して苦しめる。落としたのは悪魔じゃないかと子ども心に強く思った」と涙ぐんだ。

   10年前の東日本大震災で東京電力福島第1原子力発電所事故が起きた時も「すぐに恐ろしい思い出がよみがえってきた」と岸さん。「政治や経済のことは分かりませんが原爆と戦争は絶対に駄目です」と力を込める。

  「日本はあれから戦争をしていません。それは本当に幸せなこと。オリンピックは平和の祭典ということですから、(東京五輪を機にまた)みんな仲良くすることだと思います」と静かに語る。

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