元胆振東部消防組合消防署厚真支署長 吉村 正弘さん(68) 忘れられない9月6日 地域の災害と向き合った40年 牧場火災 2日がかりで消火作業

  • ひと百人物語, 特集
  • 2021年6月19日
「ようやく電話の音にビクッとしなくて済むようになった」とほほ笑む吉村さん
「ようやく電話の音にビクッとしなくて済むようになった」とほほ笑む吉村さん
火災予防運動では地元の子どもたちと防火パレードにも参加した=2012年
火災予防運動では地元の子どもたちと防火パレードにも参加した=2012年
今年の春には危険業務従事者叙勲を受章した
今年の春には危険業務従事者叙勲を受章した
厚真支署長として訓練を指揮した(胆振東部消防組合消防署厚真支署提供)=2010年
厚真支署長として訓練を指揮した(胆振東部消防組合消防署厚真支署提供)=2010年

  胆振東部消防組合消防署厚真支署に消防士として入署し、引退するまで約40年にわたり厚真を拠点に町を守ってきた吉村正弘さん(68)。その一方で、定年後の2018年9月には「絶対に忘れることはない」という胆振東部地震で富里の自宅が半壊し、たくさんの仲間を失った。地域の災害と向き合う人生を歩んできた。

   同支署に初出勤した1972年4月1日、「バイクで(職場に)向かっている途中に雪が降ってきた」。今でも鮮明に覚えている。翌年に救急車両の導入が決まり、事前に救急救命の専門知識を取得するため、1カ月ほど学校に通ってノウハウを頭にたたき込んだ。

   火災が多く、家が丸ごと焼けることも少なくなかった時代。中でも強烈に印象に残っているのは、20代の頃に起きた牧場火災。倉庫内で牧草から牧草へと火が燃え広がり、「いくら水を掛けても消えない。消えたと思って一息したらポッと火が付いて、また一気に広がって…」。職員、団員も総動員で川から水を引っ張り、消火作業に当たった。鎮火まで2日を要した。

   火災だけでなく、日高自動車道のカーブで起きた大型トラックの転倒など、時には救命士として人命に関わる事故現場にも駆け付けた。消防使命の重要性を認識した上で、火災予防の徹底に献身的な努力を重ね、常に時代の流れに即応できる高度な技術の鍛錬も惜しまなかった。

   人間味にあふれ、周りからも慕われた。退職後もしばらくは消防のサイレンや救急車の音が鳴ると、とっさに反応してしまう自分がいた。「寝ていてもパッと起きてしまう。車が家の前を通ったら幌内か高丘、途中で音が消えたら東和か吉野かな」と苦笑いを浮かべる。染み付いた習慣はなかなか抜けなかったという。

   そんな地域の景色が一変した胆振東部地震。半壊した自宅内は物が散乱したが、明るくなって外を見ると、それ以上の光景が目に飛び込んできた。周辺では山腹崩壊による土砂崩れが発生しており、「あれ、隣の家がない」「ならやま(当時あった高齢者自立支援センター)の格好がおかしいぞ」と目を疑った。言葉を失うような出来事。震災以来、「9月6日の前後1週間はなかなか寝付けないし、すぐに目が覚めてしまう。今年もそうなのかな」と不安そうに話す。

   現在は、慌ただしかった現役時代とは一変し、町の会計年度職員をしながら静かな時間を過ごす。最前線で働く後輩たちのことは気になるが、現場には行かないようにしている。「行ったら行ったで『何やってるんだ』とか、口を出してしまいそうだから。きっと、『ちゃんとやっているんだろうな』と思って、サイレンの音を聞いている」

  (石川鉄也)

   吉村 正弘(よしむら・まさひろ) 1952(昭和27)年12月、厚真町生まれ。厚真高校を卒業し、胆振東部消防組合が発足した翌年の72年4月から厚真支署で消防士としてのキャリアをスタートさせる。消防士長、消防司令補総務課係長、厚真支署の副支署長などを歴任し、2009年4月から厚真支署長に就任。13年3月で退職。この春に危険業務従事者叙勲で瑞宝単光章(消防功労)を受章した。厚真町富里在住。

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