スキー板とストックを自在に操り、雪上を一目散に滑走した。見事1位でゴール。両手に抱えきれないほどの賞品のお菓子を獲得し帰宅すると、当時7人いたきょうだいの大歓声にいつも迎えられた。「誇らしかったね」。物語の主人公は北海道クリーン開発社長の伊部廣明さん(75)だ。
家族の勧めで幼少期からクロスカントリースキーに打ち込んだ。農業を営む札幌市西部の実家から10キロほど離れた小、中学校への道のりを、毎冬スキー板を履いて通学。日常生活の中で競技力が自然と身に付いた。
菓子メーカーが主催するスキー大会に出場しては優勝し、大量のお菓子を持ち帰った。「戦後間もなくで、キャラメル一つでも取り合ってけんかした時代」に9人きょうだいの8番目に当たる伊部さんは、一家のヒーローだった。
6歳の時に父が亡くなり、兄や姉は高校へ進学せず家業を手伝った。スキーで頭角を現した伊部さんだけは「高校に行かせよう」と兄らの計らいで札幌商業高(当時)に進学。全国高校スキー大会団体で同校連覇に貢献するなど実績を挙げ、日本大にも進んだ。「高校、大学に行かせてもらったのは私だけ。兄さんたちには本当に感謝している」と言う。
大学卒業後、ビルメンテナンス業大手の東京美装興業で働きながら、同社社長で日本オリンピック委員会会長なども務めた故八木祐四郎氏との縁で、クロスカントリースキーとライフル射撃を組み合わせたバイアスロンの日本代表コーチに就任した。
1972年札幌、76年インスブルック(オーストリア)両五輪に帯同。77年の北海道クリーン開発創業を機に一時は仕事に専念したが、2007年から日本バイアスロン連盟の会長に就き競技の普及、振興に奔走した。10年のバンクーバー(カナダ)から3大会連続で再び五輪を経験。「世界ランキングも上がって勝利への希望が湧いた時期だった」と懐かしむ。
駒大苫小牧高校クラブ後援会、中学硬式野球の苫小牧リトルシニア、王子イーグルス後援会の各会長など地域のスポーツ振興にも精力的に関わる。時間の許す限り大会会場に足を運び、会合や卒、入団式などにも必ず出席して選手たちと触れ合うのが信条。「アスリートが元気に目標を持ってスポーツに打ち込めるようなまちになってほしい」との思いを語る。
「夢は大きく」と社名に北海道を付け苫小牧市内で創業し45年目を迎える総合ビルメンテナンス業のクリーン開発は、全道9カ所に営業拠点を構えるまでに大きく成長した。19年度には障害者雇用優良事業所等厚生労働大臣表彰を受けるなど、「働く人は宝」をモットーにまい進中。「これからも変わらず社会貢献を続けていきたい」と決意を新たにした。(北畠授)
伊部 廣明(いべ・ひろあき) 1946(昭和21)年5月、札幌市生まれ。小学からクロスカントリースキーに励み、大学まで各種全国大会に出場し活躍した。77(昭和52)年に苫小牧市で総合ビルメンテナンス業の北海道クリーン開発を創業。日本バイアスロン連盟会長(2007~20年)など、各種スポーツ振興にも心血を注いでいる。苫小牧市しらかば町在住。